【Jの肖像】梅崎司が湘南で迎えた7年目の3.11。僕のためでなく、君のために

今季湘南に加入した梅崎。(C)SAKANOWA

ケガと向き合ってきた先にいる「自分」に気付いて。

 2018年3月11日。

 湘南ベルマーレのMF梅崎司にとって、より意義深い日となった。

 この日、湘南ベルマーレはホームのShona BMWスタジアム平塚で名古屋グランパスと対戦し、拮抗した試合はスコアレスのまま推移していった。そして65分、万雷の拍手とコールを背に受けて、梅崎が右手でポンと芝を叩いてピッチへ入った。

 昨年12月13日、FIFAクラブワールドカップのウィダード・カサブランカとの5位決定戦、当時浦和レッズに在籍していた梅崎は途中出場から太もも裏を痛めて負傷交代を余儀なくされた。そのため湘南加入後はほぼリハビリに時間を費やし、チームへの完全合流から約10日でリーグ復帰を果たした。

 十分な実績を持つクオリティの高いアタッカーの加入とあってサポーターの期待は大きく、その証拠にさっそく梅崎を鼓舞する熱いチャント(=応援歌)が歌われた。

 素早い切り替えを求められる独自のスタイルを貫く湘南は、若手や出場機会の少なかった選手を育てながらチームを作り上げてきた。梅崎のような完成度の高い日本人選手の加入は稀有だ。

 名古屋戦から8日前の3月3日、J3のSC相模原との練習試合では30分限定の出場だったが、さっそく1ゴール1アシストを記録。4日後の7日のルヴァンカップ・グループステージ1節のサガン鳥栖戦では加入後初の公式戦出場を果たし幾度となくチャンスを演出した。

 そしてこの名古屋戦でベルマーレグリーンのユニフォームを着た梅崎が、さらにチームに推進力を与えた。ノーゴールに終わったものの自らもボレーシュートを放つなどチャンスを作り出して、チームに着実にフィットしてきていることを印象付けた。

 0-0で終わった試合後、梅崎は「やるべきことをやっていくなかで、どう自分を出していくか意識しました」と振り返った。

 ちょうど7年前の2011年3月11日。東日本大震災が起きたあの日。

「な、何が起きているんだ……」

 海から川に遡上して大地を覆う津波の濁流。砕かれて流される家屋と倒木。梅崎自身も強い余震に不安を抱き情報を求めるなか、TVの映像に言葉を失った。

 そして被害の甚大さを把握するたび、自分自身に苛立ち、無力感に捉われた。

 2009年に腰痛の手術と右ヒザ半月板損傷。10年にも同じ右ヒザ半月板損傷で約1年半、棒に振った。ケガが治り、心機一転して迎えた2011年。梅崎は、以前できたプレーが思うようにできず、そのギャップに苦しんでいた。

 しかし苦しんでいても、それは不幸せとは少し違っていた。

 もちろんプロフェッショナルのサッカー選手なのに、サッカーができないのは何より辛いことだった。

 ただ、いろいろな発見が日々ある。何より、待ってくれている人がいた。

 家族がいて、チームメイトがいて、サポーターがいる。

「自分の悩みが、小さく感じました」

  梅崎は「感謝しながらプレーするようになり、自然と頭がクリアになってプレーできるようになったんです」と、ケガとの格闘により自己と向き合ってばかりいたその先にいる「自分」に気付いた。

 振り返ると、11年3月11日は、梅崎にとって、ケガさえ些細であり、もっと根源的な”生きなければいけないこと”を使命に感じる機会になっていた。

 2011シーズン終盤、そしてペトロヴィッチ監督を迎えた2012年以降、彼は出場機会を増やしていった。15年のアウェーでの神戸戦では、第1ステージ優勝を決めるゴールを突き刺した。

 震災から7年。浮沈を繰り返しながら、現役を続け、浦和から湘南に新天地を求めて「3.11」を迎えた。

 梅崎は名古屋戦当日の朝、ベランダに出て東北の地に思いを寄せた。

「ベランダに出て、遠くのほうを見て、ひとり黙とうをしました。同時に新しいチームで、楽しくサッカーができていることに幸せを感じています。だからこそ、まずは近くにいる人から自分のプレーで届けたい。湘南のサポーターや、家族、チームメイトと本当につながりたいなと思います。僕はそのためにサッカーをしていると思うんです」

 目の前にいる人から、サッカーを通じて何かを伝えたい。何でもいいから感じ取ってくれたら嬉しい。自分だけのものではないサッカー人生。あなたのため、いやもう少し近く、君のために。

 梅崎司がピッチに立つ意義を改めて確かめられた「3.11」となった。

取材・文:佐藤亮太(レッズプレス!!)

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