「流れってあるから」内田篤人が下した決断の背景

ユニオン・ベルリンでは出場機会に恵まれなかった内田。試合に飢えている。(C)SAKANOWA

シャルケへの移籍直後、足の指を骨折しながらレギュラーを掴んだように――。

 内田篤人がユニオン・ベルリンで最後にベンチ入りした10月15日のレーゲンスブルク戦のあと、その後の「プロセス」を予言するかのようなことを語っていた。移籍するかどうかではなく、そこに至るまでについて。彼は「何事にも、流れってものがあるから」と何度も言っていた。

「もちろん試合に出られるなら、1日でも早いほうがいい。ただ、チームが勝っていて、週に1回しか試合がない。そうなると出られない。やっぱり、流れってあるからね。俺がシャルケに移籍した最初の頃もそうだった。流れがある」

 2010年にシャルケへ加入した直後、内田は左足の小指を骨折した。ヒビが入ったわけではなく、真っ二つに折れていた。それでも練習はフルメニュ-が課され、「左足がダメだったら、右足だけで蹴ればいいってことでしょ」と文句を言わず応じた。すると軍曹フェリックス・マガトは内田を次第に試合に起用し出す。結果的に、そこから出場機会を増やしていった。当時彼は「試合しながら治せってことだから、それでいい。それで壊れたらそれまでの選手だってこと」と割り切っていた。そしてバイエルン戦でフランク・リベリを封じて、右サイドバックのレギュラーポジションを掴んだ。

「シャルケでのその1試合、バイエルンのリベリを抑えて、それがキッカケになった。そういったキッカケがあればね。だから、チャンスがほしい」

 そういう意味では、指揮官交代によってシャルケ時代の恩師であったイェンス・ケラー前監督が4位につけながら退任。そしてアンドレ・ホフシュナイダー新監督のもとで再出発を切ったものの、チームは連敗を喫して6位に。賭けは裏目に出てしまい、ウインターブレイクに突入した。

 目標の1部昇格が一気に遠のいてしまったのだ。内田がユニオン・ベルリンで戦い続けるために、具体的な意味を見出しにくい状況に陥っていたのは確かだ。

 一方、古巣の鹿島では西大伍が不運にも12月2日の最終節・ジュビロ磐田戦で右膝内側側副靱帯断裂で全治4か月に及ぶ負傷を負ってしまった。ただでさえ人材が不足していて、なおかつチームのボールの収めどころというキーポジションである。純粋に鹿島は内田を戦力として欲した。もちろん背番号2をずっと空けていたところに、クラブと内田の強い信頼関係があったこともうかがえる。

 もちろん、実戦から離れていた時期が長く、内田がどのようなプレーを見せてくれるのか未知な部分は大きい。それはおそらく誰もが読めない。ただ、最終節で首位を陥落するという一敗地に塗れて、心も砕かれた鹿島にとって、何が足りなかったかと考えると、それは内田のような存在だったかもしれないと思える。

 とはいえ内田本人にとっては、まず経験をチームに還元するとかそういったことより、「とにかく試合に出たい」とピッチに立つことへの飢餓が強かったに違いない。まさにあらゆるタイミングが合致しての鹿島復帰だった。

 鹿島アントラーズのユニフォームを身に付けて、内田篤人がついに流れを掴むかー―。

取材・文:塚越始

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