【磐田】中山雅史、高原直泰、前田遼一への礎を築く。スキラッチ氏へ哀悼の意「ジュビロのみならず日本のストライカーに大きな影響を与えました」
スキラッチ氏。(Photo by Paolo Bruno/Getty Images)
藤田俊哉SD「ジュビロで一緒にプレーできたことは、サッカー選手としての宝物」
J1リーグのジュビロ磐田は9月18日、公式SNS(エックス=@Jubiloiwata_YFC)で元イタリア代表であり磐田にて1994年から97年までプレーしたサルヴァトーレ・スキラッチ氏の訃報に際し、哀悼の意を発表した。
クラブは「1990FIFAワールドカップイタリア大会得点王の前評判通り、高い技術と本能的なプレーでゴールを量産し、ジュビロのみならず日本のストライカーに大きな影響を与えました」と綴っている。
中山雅史、高原直泰、前田遼一……。磐田からはその後、日本代表のエースストライカーを輩出していった。まさにその礎を築いた一人が”トト”スキラッチでもあった。
クラブは次のように惜しんでいる。
「この度、サルヴァトーレ・スキラッチ氏のご逝去に接し、クラブ一同、深い悲しみに耐えません。心よりご冥福をお祈り申し上げます。
スキラッチ氏は、1994年から1997年まで当クラブに在籍しました。1990FIFAワールドカップイタリア大会得点王の前評判通り、高い技術と本能的なプレーでゴールを量産し、ジュビロのみならず日本のストライカーに大きな影響を与えました。選手やファンからは‘トト’の愛称で愛され、今でもジュビロのレジェンドとして、クラブの歴史に深く刻まれております。
1999年に現役を引退され、その後は故郷パレルモでサッカースクールを運営されながら、タレント活動や解説者としてもご活躍されました。また、慈善活動にも積極的に取り組み、サッカー界への大きな貢献をされました。その人間味あふれる温かい人柄と情熱は、今なお多くの人々に敬愛されています。
最近は体調を崩されていたとのことでご回復をお祈りしておりましたが、このような結果となり大変残念です。もうお会いすることは叶いませんが、スキラッチ氏がジュビロに残してくださったものは、これからもずっと私たちの心に生き続けるでしょう。 ご遺族の皆様に、心よりお悔やみを申し上げますとともに、スキラッチ氏のご冥福をお祈り申し上げます」
関連記事>>W杯得点王、磐田でプレーしたスキラッチが59歳で逝去、死因は…。イタリアのメローニ首相も声明「サッカー界の象徴だった」
また、藤田俊哉SDは「あまりにも早い突然の別れに驚くばかりです。ワールドカップの得点王と、ジュビロで一緒にプレーできたことは、サッカー選手としての宝物です。素晴らしいストライカーでした。彼のプレーから多くのものを学びました。ご冥福をお祈り申し上げます」とメッセージを綴っている。