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元日本代表の山瀬功治が現役引退「『山瀬功治』というサッカー選手は、妻と2人で作り上げたと言っても過言ではありません」

山瀬 功治 (Photo by Koichi Kamoshida/Getty Images)

日本代表では『10番』もつけて、13試合・5ゴールを記録。

 元サッカー日本代表の山瀬功治(Koji YAMASE)が2月27日、2024シーズンを最後に現役引退すると決断した。昨季まで所属したレノファ山口FCから発表された。

 山瀬功治は1981年9月22日生まれ、北海道出身。175センチ・73キロ。1981年9月22日生まれ、43歳。

 これまでのキャリアは、北海高校 ― 北海道コンサドーレ札幌 ― 浦和レッズ ― 横浜F・マリノス ― 川崎フロンターレ ― 京都サンガF.C. ― アビスパ福岡 ― 愛媛FC ― 山口。日本代表では『10番』をつける機会もあり、通算13試合・5ゴールを記録している。

 山瀬は次のようにコメントしている。

「私、山瀬功治は、この度現役を引退する決断を致しました。

 まず初めに、これまで応援し支えてくださったすべての皆様に心より感謝申し上げます。プロサッカー選手として過ごした25年間は、本当にあっという間でした。とはいえ、引退を決断し改めて現役生活を振り返ると、語り尽くせないほど多くの出来事があり、今は25年という月日の流れを噛み締めているところです。

 30代後半を迎えてからは、常に引退を意識しながらプレーしてきたので、今回の決断にはある程度の覚悟を持っていたつもりでしたが、いざその時を迎えると、やはり寂しさを感じずにはいられませんでした。 ただ、事前に報告させていただいた関係者の方の多くが、引退を惜しむ以上に『本当によく頑張ったね』『やり切ったね』と口々におっしゃってくださり、自分のサッカー人生は、まさにその一言に尽きるのだと実感しています。

 現役生活を過ごすにあたり、妻とは常々『お互い、明日死んだとしても後悔のない生き方をしよう』と話してきました。だからこそ、日々のサッカーに対して120パーセント全力でやり尽くしたと胸を張って言えますし、皆さんからの言葉が目指す生き方と重なっていたことに、嬉しさを感じています。

 また、四半世紀も現役を続けられたのは、多くの方々の支えやサポートがあったおかげです。選手である以上、常に向上心を持ち、最大限努力し続けるのは当然ですが、どれだけ頑張っても個人でやれることには限界があります。

 スキルアップ、体のケア、チーム探しなど、数えきれないほどの人たちが力を貸してくださり、もしこの人がいなければもっと早くに現役を終えていたと断言できる人も少なくありません。

 25年間の選手生活の中で、人は一人では生きられないことを学びました。 札幌、浦和、横浜、川崎、京都、福岡、愛媛、山口、全ての地域で素晴らしい出会いとご縁をいただけた自分は、本当に幸せ者ですし、この繋がりこそが、かけがえのない財産です。 なかでも妻の存在は極めて大きく、『山瀬功治』というサッカー選手は、妻と2人で作り上げたと言っても過言ではありません。

 彼女がいなければ、今の自分は間違いなく存在しませんでした。 サッカーと私生活、アップダウンの激しい波瀾万丈の暮らしの中で、彼女は最も信頼できる理解者であり、サポーターであり、マネージャーであり、また、一人の人間としてどうあるべきかを教えてくれる人生の師匠でもありました。 幾多の困難が訪れ、ぶつかり合うことも多々ありましたが、20年以上にわたり、誰よりも寄り添い、誰よりも厳しく支え続けてくれた妻には、心の底から感謝しています。そして、唯一無二のパートナーとして共に戦ってきた彼女にも、この場を借りて『現役お疲れ様でした』と伝えたいです。

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 今後については、具体的な形が決まり次第、改めて皆様にご報告させていただきます。 とはいえ、契約満了時にお伝えした通り、生涯サッカーに携わることに変わりないので、これからも自分らしく、向上心を持ってセカンドキャリアに取り組んでいきます。 最後になりますが、これまで応援してくださった皆様、支えてくださった皆様、山瀬功治に関わってくださった全ての皆様、本当にありがとうございました。 自分をプロサッカー選手にまで育て上げてくれた父と母にも、心からの感謝を伝えたいと思います。 また皆様にお会いできる日を心より楽しみにしています」