【W杯戦士の肖像】18歳の乾貴士が選手権予選の真っただ中に反町ジャパン入り。周りが見せた反応は?
日本代表の乾貴士 写真:徳原隆元/(C)Takamoto TOKUHARA
世界に通用するタレントを輩出する――野洲高らしさを物語るエピソード。
[ロシアW杯 GL] 日本 – コロンビア/2018年6月19日/サランスク
2006年11月、野洲高校3年生の乾貴士が北京五輪を目指す反町康治監督(現・松本)率いるU-21日本代表に選ばれた。18歳の高校生、日本対韓国のホーム&アウェーの親善試合2連戦での抜擢だった。
しかし、その時期は高校選手権の滋賀県予選の真っただ中。しかも、ちょうど重要な準決勝と決勝が重なっていた。乾は日程的に強行出場ができるものの、移動を含め心身ともに相当な負担がかかる。もしも負けてしまえば……この代表戦があったからだ、と理由にされてしまうような状況だった。
しかも北京五輪予選の本番ではなく、テストマッチの2試合である。何もこのタイミングで呼ぶ必要性はなく、むしろ野洲高としても迷惑だったのではないだろうか?
「世界で活躍する選手を輩出する」。常に語っていた野洲の山本佳司監督(現・同校総監督)だが本音はどうなのか……。
しかし、やはり野洲高は、選手の「未来」を見据えていた。
その代表入りの報告を受けたとき、山本監督は「おめでとう!」と乾を心から祝福した。そして、野洲高のチームメイトも「すごい!」「頑張ってこい!」と快く送り出したという。
山本監督もまた日本を代表する「タレント=個」を育てるというスタンスは、やはり一切ブレず、この反町ジャパン入りを喜んだ。そのように背中を押された乾は韓国戦の2試合で途中出場し、変化を加えるドリブルを披露。しっかりインパクトを残した。そして結果的に野洲高は選手権の滋賀県大会を勝ち抜き、出場権を獲得することもできた。
とはいえ、前回選手権覇者として臨んだ選手権は3回戦で、山崎亮平(現・柏)、米倉恒貴(現・G大阪)のいた八千代に1-4という大差で敗れた。乾が一矢報いるシュートを決めたが、「この1年は本当にさまざまなプレッシャーがあった」と山本監督は言っていた。
ただ一方で乾は「フィジカルや体力、自分に足りないところがはっきりと分かった」と自身の課題を挙げ、さらに「負けたけれど、最後まで野洲高らしい楽しいサッカーを見せられた」と悔しさを噛み締めつつ最後は笑った。
このときから小さな枠に収まる、小さな世界で満足するような選手ではなかった。
まず選手としての能力と魅力を備えていたうえで、そのように向上心を駆り立てる環境も整っていた。
「なんだか、ここにいる自分が不思議な感じがするんですよね。(ケガで別メニューが続いたが)でも、本番にはしっかり戻せます」
ワールドカップのメンバー発表を前にそう語っていた乾は、有言実行とばかりにW杯直前の親善試合のパラグアイ戦で2ゴール――。初戦のコロンビア戦にしっかり照準を合わせてきた。
変わらぬサッカー小僧。変わらぬ向上心。もっとたくさんの人たちの後押しを受けて、それを力に変えて、乾貴士にとって、ここからまた新たなる旅が始まる。
取材・文:塚越始
text by Hajime TSUKAKOSHI