【鹿島】内田篤人が32歳の誕生日、全体練習に部分合流。シャルケ時代と在籍年数が並ぶ
鹿島の内田篤人。写真:徳原隆元/(C)Tkamoto TOKUHARA
プロ15年目、チームとともに復活を期す。
J1リーグの鹿島アントラーズの元日本代表DF内田篤人が3月27日、32歳の誕生日を迎えた。プロ15年目、鹿島での在籍年数はドイツ・ブンデスリーガのシャルケ04時代の8シーズンと並んだ。現在はプレシーズンマッチで負ったケガからのリハビリに努め、クラブは全体練習に部分合流したと伝えている。
鹿島は同日、クラブの公式ツイッター(@atlrs_official)で、次のように内田の誕生日を祝福した。
皆さん、おはようございます!#antlers #kashima
今日は内田選手の誕生日!先日から全体練習に部分合流しています!
#内田篤人 ハッピーバースデー、篤人さん!これからもよろしくお願いします!
1988年3月27日生まれ。静岡県出身の内田は、2006年に清水東高校から鹿島に加入し、プロとして15シーズン目を迎える。鹿島5年、シャルケ8シーズン、ユニオン・ベルリン1シーズン(2017年-2018年1月)、そして復帰した鹿島で3年目。
そして今シーズン、2月1日に行われたプレシーズンマッチ「いばらきサッカーフェスティバル」の水戸ホーリーホック戦(〇1-0)ではキャプテンマークを巻いて4-4-2の右サイドバックで先発出場し、左の山本脩斗とともに手練れた技と読みと味を披露。東福岡高校から加入した新人の荒木遼太郎ら若い選手たちの力も引き出しながら、一方でザーゴ監督の戦術理解も深めつつ勝利に導いた。
しかし、試合途中の77分、鹿島の背番号2は直訴して、杉岡大暉と交代に。その後の精密検査の結果、右下腿三頭筋損傷で全治約4週間と診断された。
ただ内田は「たぶん大丈夫。バーンって行って、長期離脱はもうしたくないから、さすがに。(今日は)このくらいかなって」と、大事に至らないための判断だったと強調している。
「(サイドバックがタッチライン沿いまで)ワイドに開いたりするところがヨーロッパっぽい。(内田自身は)ヨーロッパでやっていたので、そんなに違和感がない。むしろ、そっちのサッカーのほうを長くやっていたから」
ザーゴスタイルについて内田はそう語っていたが、なかなか波に乗れずにいるチームの力になりたいと、誰よりも強く思っているに違いない。新型コロナウイルスの感染によりJリーグは中断しているが、再開予定の5月に向けて、鹿島とともに、内田が復活を期す。
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[文:サカノワ編集グループ]