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【ハリルジャパン総括】日本に合わなかった「デュエル」へのこだわり

昨年12月、E-1東アジア選手権のセレモニーでのハリルホジッチ前監督。写真:徳原隆元/(C)Takamoto TOKUHARA

主張し続けた「フィジカルを上げろ」。逆説的に日本が伸ばすべき特長を照らし出す。

 解任されたハリルホジッチ前監督が2015年3月の就任から3年間、ことあるごとに強調してきたキーワードが「デュエル」だった。「対決」、「決闘」など基本的には1対1のサシの勝負を意味している。闘う姿勢を前面に出せ、という点には確かに多くの人が賛同してきた。

 そのために「フィジカルのレベルを上げてほしい」とハリルは選手やスタッフに要求。当初は確かに日本人選手が世界レベルに追い付くためには、そのベースアップが必要だと思っていた。ところが前指揮官は、レアル・マドリーのポルトガル代表クリスチアーノ・ロナウドのようなフィジカルが理想だと主張。強靭なフィジカルを持ったうえで球際で戦うことを日本代表の選手に求めたのだ。ハリルの目指すフィジカルは、ヨーロッパ系の高さや強さ、そしてアフリカ系のパワーを備えたもの……。日本人が持ち合わせていないものを「持て」と言い、そういった要素を備えていないことを嘆き、負ければ「デュエルの弱さ」を敗因に挙げた。

 確かに本田圭佑のように、強靭なフィジカルを持つ選手がいれば、ボールを確実に収められて攻撃の選択肢は増す。とはいえ彼のフィジカルの強さが生きるのは、香川真司や岡崎慎司のような俊敏性の高い選手、そして機転を利かせて鋭く攻め上がる長友佑都のようなサイドバックなど、周りがいてこそ。それに本田や吉田麻也の最大の特長はフィジカルの強さではなく、それを生かしてチームを機能させる力だ。

 もちろん1対1はサッカーの見せ場であり、果敢に挑むことは重要だ。大切な局面では「デュエル」が肝心であり、Jリーグではそこが不足しているとも痛感させられる。

 それでもハリルの掲げていた「デュエル」に勝つために強靭なフィジカルを持て、というのは土台、ないものねだり。砂漠で水を欲するように、鍛えて克服できるものではなかった。

 そのデュエルとフィジカルに関する発言から見えるチーム作りの根本的なミスマッチは、誰の目から見ても明らかだった。その乖離は時間が経つごとにますます進んでいきながら、前指揮官は3トップにこだわり、1対1で仕掛けることを求めた。それで負けてもハリル体制を引っ張り擁護してきた日本サッカー協会の責任は重い。

 一方、ペトロヴィッチ監督が率いた浦和レッズが2年連続で主要タイトルを獲り、その師の後継者である森保一氏が率いたサンフレッチェ広島も3度リーグ優勝を果たすなど一時代を築いた。風間八宏監督と鬼木達監督が築き上げた川崎フロンターレが昨季リーグ制覇を成し遂げた。鹿島アントラーズは一貫してブラジル的スタイルを踏襲してきた。日本人の特性を生かしたパスと運動量を生かしたスタイルがJリーグの王道に定着し、コンビネーションによるサッカーが「日本化」してきているのは事実。今回の解任劇で、その「日本のスタイル」をいかに伸ばすべきかというスタンスが、より求められることが明確になったのではないだろうか。(西野朗監督がその「時代の流れ」から一歩離れていたことは、また別の機会に考えたい)

 日本人が「デュエル」にこだわるべきではない。世界と伍するためにこだわるべきは、そこではなかったと逆説的に証明したのではないか。それがハリルホジッチ前監督が残した「事実=果実」と言える。

文:塚越始
text by Hajime TSUKAKOSHI

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