日本代表復帰のGK権田修一が噛み締めた「特別な場所、味スタ」
味スタのピッチに立った鳥栖のGK権田修一。古巣のFC東京相手にシャットアウトに成功。写真:徳原隆元/(C)Takamoto TOKUHARA
喜怒哀楽の詰まったピッチからパワーを得て――2015年以来の代表戦出場なるか。
FC東京との25節のアウェーゲーム(△0-0)を終えたあと、サガン鳥栖のGK権田修一がメディアの前に現われたのは、最後から二番目だった(最後はフェルナンド・トーレス)。育成年代からトップチームまで戦ってきたFC東京の多くの関係者と旧交を温めていたことが分かる。直前には森保一監督の初陣となる日本代表のメンバーにも招集された。そういったタイミングを含めて権田にとって、20代最後のシーズンの味の素スタジアムでの戦いは、特別なものになった。
「代表うんぬんはまた別として、やはりここで試合をすることは僕にとって特別でした。今、サガン鳥栖の選手としてプレーしていますが、FC東京のことは好きですし応援しています。知っている選手の有無も関係なく、このスタジアムは僕が中学生の頃から観戦に来て、応援しに来ていたスタジアムで、いろんなことがあった。特別な想いがこみ上げました」
喜怒哀楽の詰まった味の素スタジアムは、権田にとっての聖地だ。そこで今回、体を張って、最後まで集中を切らさず、FC東京相手に無失点に抑えるプレーを見せた。
「僕がサッカーを続けている意味は、元気にプレーしている姿を見せるため。サポーターの皆さん、育成のときから見てくれていたコーチ、フロントのスタッフ、そういう人たちに。それが恩返しになります。そのなかで、今回、日本代表に選んでもらえました。僕はFC東京の育成育ちであり、サガン鳥栖から今回自分だけが選ばれ、1年間いたSVホルンを含め、僕を支えてくれたあらゆる人たちのお陰での成果なので、日本代表でも元気にプレーする姿を見せられるように、また頑張って行ってきたいです」
「(FC東京戦は)もちろん勝ちたかったです」と権田は悔やみつつ、さらなる推進力を得るためのパワーを、この日立った味スタのピッチから吸収していた。
2005年まで遡る。権田が高校時代に参戦した石垣島キャンプ。練習が終わったあと、当時の守護神であり日本代表にも選ばれていたGK土肥洋一(現・ファジアーノ岡山コーチ)が権田にキャッチングの仕方をアドバイスしていた。かなり緊張しながら背筋を伸ばして話を聞いていた権田の姿が思い出される。おそらくそのときの日本で最高と言えるレッスンを独り占めしていた。
そして2009年に塩田仁史(現・大宮アルディージャ)が腸閉塞で手術を繰り返していたとき、FC東京のゴールマウスを守り続けた権田は言った。
「ゴールキーパーはいつ何が起きても不思議ではない。本当に1日1日が勝負。僕だって、明日、ピッチに立てないかもしれない。それぐらいの気持ちで日々練習に臨んでいます」
シオさんのために、という陳腐なセリフは言わなかった。”俺たち”は命を懸けて戦っているのだ、という覚悟。それが伝わってきた。
その09年のナビスコカップ(現ルヴァンカップ)決勝で川崎フロンターレを2-0で下したときをはじめ、”ゾーン”に入ったときの権田は、どこにシュートを蹴っても、どんなに精巧なクロスを放っても、すべてを止めてしまうぐらい凄まじい集中力を発揮する。まるで全ての選手が権田に向かってボールを蹴っているようにすら思えるぐらい。
プロとして12年目、果たして2015年以来となる日本代表のピッチに立つことはできるのか。森保監督もそんな権田の凄まじさも、加えて現在の安定感も、いずれも評価して今回招集したはずだ。
「元気にプレーしている姿を見せたい」というスタンスを貫いてきたからこそ、手に入れたチャンス。ただ、選ばれたからには、この男は相当な覚悟でいるはずだ。そして、その逞しさの増した大きな背中を、権田のサッカー人生を支えてきたたくさんの人が後押ししている。
取材・文:塚越始
text by Hajime TSUKAKOSHI