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川口能活が明かした『500試合出場』の重み。「特に400試合からの道のりは簡単ではなかった」

SC相模原のGK川口能活。(C)SAKANOWA

【記事復刻版】家族と迎えた、あの日。400試合目のセレモニーには出られなかった。

 今季限りでの引退を表明した川口能活は、昨年11月にJ通算500試合出場を達成した。そして相模原でのホーム最終節、記念セレモニーが行われた。ちょうど、それから1年が経とうとしている。そのとき彼が語った言葉を、ここで改めて紹介しよう(2017年12月1日掲載分をリライト)。

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 SC相模原の川口能活が、J3の2017シーズン32節のFC東京U-23戦でJリーグ通算500試合出場を達成した。そしてホーム最終戦となった11月26日の33節・ガンバ大阪U-23戦の試合前に、記念のセレモニーが行なわれて、中村俊輔(磐田)、中山雅史(沼津)、楢﨑正剛(名古屋)、井原正巳監督(福岡)から祝福のメッセージが届いた。川口にとって「501試合目」となったその試合は2-2の引き分けに終わったが、試合後、サポーターから熱い「ヨシカツコール」が送られた。

「特に400試合から500試合までに行くまでの道のりは簡単ではなかったです」

 川口はそのように500試合出場の重みについて明かした。

「大きな怪我をして、チームを渡り歩き、シーズンを通してまともに試合に出られなかった時期もあった。そういった難しい状況を乗り越えての『500』でした」

 Jリーグでのキャリアを振り返ると、ジュビロ磐田時代の2012年はリーグ出場わずか2試合にとどまっている。そこで、ちょうど通算400試合出場を達成している。

「実は400試合を達成した翌週の練習で、右足のアキレス腱を断裂してしまって(全治6か月)。次の試合のセレモニーには出れらなかったんです。僕の代わりにカミさんと子供たちが花束を受け取って、それを僕はテレビで観ていた。それは、ちょっと悲しい記憶として残っていました」

 そこから川口にとって、過去にない試練の日々が続いた。

 怪我を乗り越えての復活、しかし2013シーズンで磐田を退団に。

 FC岐阜では1年目はレギュラーの座を掴んだ。だが2年目はわずか6試合の出場。そして2016シーズン、相模原に加入した。新天地ですぐさまチームの顔として、もう一度チャンスを掴み、活躍してきた。

「今回、500試合に絡んだふたつの試合(FC東京U-23戦は0-0、G大阪U-23戦は2-2)で勝てなかったことが、まず何より悔しいし、サポーターの皆さんに申し訳なく思っています。FC東京U-23戦で、相模原のサポーターが祝福の横断幕を出してくれた。あれは僕にとって最高に嬉しかった。あんな粋な演出をしてくれて感動しました。そのサポーターの前で、今回家族とスタジアムでセレモニーを迎えられて、本当に嬉しかったです。こうしてチャンスを与えてくれたクラブ、監督、スタッフ、それにチームメイトの仲間、みんなに感謝の気持ちしかありません。だからプレーで応えていきたいです」

 川口の相模原への「感謝」の言葉の背景には、苦しい時に一緒に戦ってくれた仲間への想いが詰まっていた。

「まず今シーズンの残り1試合、全力で挑みたい」

 川口の闘志は、1試合のピッチに踏み出した時と変わらず力強く燃えていた。

文:サカノワ編集グループ

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