ラウル、ノイアーもいた。シャルケが内田篤人デビューの9年前を回顧
2010-11シーズン、シャルケでプレーする内田篤人。写真:徳原隆元/(C)Takamoto TOKUHARA
SNSで2010年8月21日のハンブルク戦を振り返る。「チョコレートライン」も誕生。
ドイツブンデスリーガ1部のシャルケ04が8月21日、9年前のその日――リーグ開幕1節のハンブルガーSV戦で内田篤人(現・鹿島アントラーズ)が新天地デビューを果たした試合をSNSで回顧している。
クラブ公式ツイッターの日本語版(アカウントは @s04_jp )、英語版( @s04_en )、そしてスペイン語版( @s04_es )で紹介。5万7000人で埋まったアウェーのフォルクスパークアレーナで、内田は59分に右サイドバックのジョエル・マティプ(現・リバプールFC)と交代でピッチに立った。そして約30分間プレーし、右MFのファルファン(現・ロコモティフ・モスクワ)とのコンビネーションからさっそく何度かチャンスを作り出すなど、右サイドの「チョコレートライン」誕生の日ともなった。
試合は、80分にイヴァン・ラキティッチ(現・FCバルセロナ)のアシストからそのファルファンがゴールを決めたものの、ホームチームにいたオランダ代表FWファン・ニステルローイに2ゴールを決められて、1-2で敗戦。そうして敵地で静かに内田は一歩を踏み出していた。
久保建英がプレーするレアル・マドリード・カスティージャを率いるラウル・ゴンザレス監督が、この時も「7番」をつけてシャルケのエースストライカーを担っていた。さらに最後尾には、ドイツ代表の守護神になっていくGKマヌエル・ノイアー(現・バイエルン・ミュンヘン)がいた。
このチームを鬼軍曹フェリックス・マガトが率いていたのも、今となっては懐かしい。「足の小指が骨折している。でも左足だから関係ないってこと」と内田はシーズン序盤、練習や試合に出ながら、そのケガを治していったエピソードも残る。そうして気付けば不動の右サイドバックのポジションを掴んでいった。
チームはリーグ戦ではなかなか振るわなかったが、欧州UEFAチャンピオンズリーグでクラブ史上初のベスト4に進み、DFBカップ(ドイツカップ)制覇も成し遂げている。
ギリシャ代表キリアコス・パパドプロス(現・ハンブルク)、FC東京にも1年在籍したブラジル人FWのエドゥ……それにしても個性的なメンバーが揃っていた。そんななかで内田はファンからも、チームメイトからも愛される存在になっていった。
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Topics:Atsuto UCHIDA of Schalke 04 made his debut in 2010.21.August.