サラバ闘将、闘莉王が引退会見「まさか最終戦で救急車に乗るとは思わなかった」

引退を発表した田中マルクス闘莉王。写真:上岸卓史/(C)Takashi UEGISHI

最も印象に残っているのは南アフリカW杯パラグアイ戦での”あのシーン”。「次のキッカーが僕だった」

 J2リーグ京都サンガF.C.の元日本代表DF田中マルクス闘莉王が12月1日、都内で引退記者会見を行った。38歳の闘将が通算19シーズンにわたるプロ生活にピリオドを打つことを決めた。

 闘莉王は冒頭、次のように語った。

「今日をもちまして、あっという間の19年間のプロ生活を引退します。たくさんの人たちに、ファンに、サポーターに、こんなしょうもない人間を支えていただき、感謝の気持ちで胸がいっぱいです。本当に有り難うございました」

 プロラストゲームは11月24日、京都での柏レイソルとのアウェー戦。前半終了間際に味方との接触で鼻骨を骨折。手術を行ったそうだ。

「まさか最終戦で救急車に乗るとは思わなかった(笑)。少しはよくなったが、何か(涙)が出てきたら教えてください。ただ、最後の最後まで自分らしいな、と思いました。やっぱり、この頭だけで何針を縫ったのか分からない。最後ぐらいはキレイな顔で出てきたかったが、神様からの『自分らしい姿でやってこい』というメッセージだったと思います」

 闘将は引退を決断した理由について、次のように語った。

「心はいつも燃えていた。この炎が消えかかりそうになった時、引退しようと、思っていました。サッカーに対し失礼がないようにと、ずっと心に決めていました。去年の終わり、それを感じて、やっぱり引退しないといけないと決めました。ただ最後の1年、今まで敵として戦ってきた相手チームのサポーターに、あいさつをしたかった。もちろんサッカーでは結果を求めていました。ただ、少し消えかかっていた炎をエネルギーに変えて、これで最後のシーズンにしようと決めて戦いました」

 また、2003年に日本への帰化を果たした際、「闘莉王」という漢字を決めた経緯も語った。

「心がブラジル人ではなく、日本人の心になっている。そう感じて、国籍を取得することに決めました。日の丸、それに支えてくれた人たちに恩返しをする、その思いで国籍を変え、インパクトを残さないといけないと思いました。振り返ってみると、ピッタリの名前だったのではないかなと思います」

 そして最も印象に残っている瞬間は、2010年の南アフリカ・ワールドカップ。パラグアイ戦の”あのシーン”を挙げた。

「ワールドカップのパラグアイ戦、コマちゃん(駒野)がPKを外した瞬間です。次のキッカーが自分だったんです。だから、僕のところまで回ってきたらどうなっていたんだろうなと。それも神様の自分に対する嫌がらせかもしれません。外すなら、自分で良かったですし。そのあと夜も寝ずに過ごして、こんなボールを蹴りたい、こんなキックをしたいと思ったことはなかった。あの瞬間がいまだに『…』となっています」

 さらに、自身が「誇り」としていることは――。

「グラウンドのなかで、試合中は一瞬も、一秒も手を抜くことなく全力で気合を入れてやってきたことが、すごく誇りに思っています。時に頭が割れてでも、肉離れを起こしてでも、鼻の骨が折れても、ピッチに戻ろうとした。その気持ちだけは、誇りにしています。その全力の姿勢を生んでくれた、たくさんの素晴らしい仲間と出会えたことも誇りに思っています」

 そして引退後については、「今後のことは考えていません。たくさんビールを飲んで、肉を食べて、たくさん太って、皆さんに笑ってもらえればと思います」と笑った。

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[取材・文:塚越 始]

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