【日本代表】森保一監督が明かす中学時代。実は「ハンドボール部に入部しようと決めていた――」

森保一監督。写真:徳原隆元/(C)Takamoto TOKUHARA

父親が掛け合い、2年時にサッカー部が発足。「考えて実践する」ことの基礎を築く。

 日本代表と東京オリンピック日本代表(現U-23、来年U-24代表)の森保一監督が5月6日、JFA公式サイトの「日本代表監督リレーインタビュー」のラストで登場し、自らの少年時代の思い出とともに、この新型コロナウイルスの感染によりあらゆるサッカーの活動が休止されるなかで「自ら考え実践すること」の大切さを語っている。

 長崎県出身の森保監督は、小学5年生まで野球少年だった。しかしそこからサッカーに取り組み、6年生になると夢が「サッカー選手」になったという。

 ところが深堀中学に進学するとサッカー部がなく、強豪として知られていた「ハンドボール部に入部しようと決めました」と明かしている。ただそこで父親から「サッカーはしなくてもいいのか?」と問いかけられ、「サッカー部がなければ作ればいい。学校に話してみよう」と提案され、そうして2年時から、サッカー部ができたそうだ。そのため1年間は隣町の中学校まで自転車で通い、深堀中から一人で練習に参加していたという。

 とはいえサッカー部は校庭が使えず、父親が掛け合って確保してくれた駐車場のようなところで森保少年と仲間たちは練習するようになった。そして、そこに「森保監督」の原点があった。

 練習メニューは主に「ランニングとミニゲームとシュート練習」だった。

「自分たちでゴールを設定し、ネットもないからボールはあちこちへ飛んでいってしまう。でもそれも楽しかった。指導者に教えてもらったこともたくさんありますが、保護者の皆さんに環境づくりをしてもらったなか、上手くなるためにどうすればいいのかを自分たちで考えてやれたことは今振り返ると良かったと思いますし、楽しい毎日でした」

 どうすればチームとして機能するのか? チーム力を上げていけるのか? 個々を生かせていけるのか? 自身のスキルを上げる一方、チーム全体を俯瞰した練習メニューを考えていった。そこからサンフレッチェ広島、ベガルタ仙台、そして日本代表で屈指のボランチとして活躍し、監督としてもしっかり結果を残していく「森保一」の基礎は築かれていった。

 現在新型コロナウイルスによって、すべての選手が外で思い切りプレーする機会を失っている。そうしたなか、森保監督は「できないことをネガティブに考えるのではなくて、今できることをポジティブに捉えてやっていく。そういうメンタルでいてほしい」「練習が再開できるようになった時、試合ができるようになった時に差が出るのは、やはりこういう我慢しなければいけない時に、一人で人が見ていないところで努力をするということだと思います」と強調する。

 考えて行動に移してみる――。指揮官は「今だったらインターネット上にたくさんヒントはあると思いますし、なによりも自分で考えてやるということを実践してほしいなと思います」と、今この機会を人生に生かしてほしいと呼び掛けている。

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[文:サカノワ編集グループ]

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