【横浜FM】J1再開へ喜田が語った”プランB”を共有する必要性
横浜FMの喜田(5番)(C)SAKANOWA
スコアレスのままパスで相手を疲れさせて、というAプランは持てている一方で。
[天皇杯 3回戦] 横浜FM 2-1 横浜FC /2018年7月11日/ニッパツ三ッ沢球技場
横浜F・マリノスの喜田拓也が横浜ダービーで4-3-3のインサイドハーフで先発し、状況に応じて最終ラインと前線をフォローしながらパスを散らし、全体のバランスを保った。ただ1点リードを奪われたあと、69分、ウーゴ・ヴィエイラと交代に。プレッシングなど守備では持ち味を発揮したものの、攻撃面では特長を示せなかった。
開幕からはアンカーを務めていたものの、右足の関節を傷めて離脱を余儀なくされた。そして5月の復帰後はインサイドハーフで起用。ワールドカップの中断明けのこの試合、彼の起用法も注目のひとつだったが、継続して天野純とのセットで使われた。
ハードワークを武器に相手に自由を与えず、ペナルティエリア内の良い位置で何度かボールを持った。が、そこから横浜FCの素早くリトリートする守備網をなかなか打破できなかった。
「中断明け一発目の試合だったので、とても難しさを感じましたし、コンディション面も良くなかった」
喜田はそのように実戦から約1か月離れていたブランクを実感していた。一方、むしろ課題が出たことを収穫とも受け止めていた。
「続けてパスを回していくことで、相手も相当疲れてきていた感じはした。0-0で試合を進めていれば、悪いことではない」と、スコアレスのまま試合を推移できれば、”必ずチャンスをものにできる”というビジョンを、チーム全体で共有できている(Aプラン)と感じた。
「結果は勝てたので、そこだけは良かったと思います。ただ、そうならなかったときにどうするか。そこを突き詰め、高めていきたい」
先制点を許し、そこから猛攻を仕掛けて、ウーゴ・ヴィエイラの2ゴールで逆転勝利を収められた。同点ゴールは良い形ではあったが、どちらかというと、サブ組主体の横浜FCを最後は力でねじ伏せた形だった。
では相手がJ1であったら、どうだったか。先にリードを奪われたときにどのように挽回するのか。Aプランは確立されてきただけに、喜田はそれがダメだったときの”Bプラン”をみんなで共有する必要性を感じていた。
取材・文:塚越始
text by Hajime TSUKAKOSHI