【浦和】「夢はGM」宇賀神友弥が引退会見「レッズの力になれないのであれば、ここまでだと決断」
浦和の宇賀神(中央)を中心に、武藤(左)、興梠(右)と。写真:徳原隆元/(C)Takamoto TOKUHARA
最も印象に残る試合は2014年の最終節・G大阪戦。ベストゴールは21年の天皇杯優勝決定弾、最高のアシストは15年のG大阪戦でのズラタンへのクロス。
J1リーグ浦和レッズの宇賀神友弥が11月26日、大原サッカー場で引退記者会見を行い、プロ15年間での思い出や引退を決めた背景などを語るとともに、「まず最初の夢はレッズのGMになること」と強化責任者となって、浦和を世界一に導きたいと意気込みを示した。
ミハイロ・ペトロヴィッチ監督のもとでの2016年のルヴァンカップ制覇、その後の2017年のAFCアジアチャンピオンズリーグ(ACL)(堀孝史体制)、2018年(オズワルド・オリヴェイラ体制)・2021年(リカルド・ロドリゲス体制)の天皇杯と、4つの主要タイトル獲得に貢献。特に2021年の天皇杯決勝・ベガルタ仙台戦(〇1-0)でのスーパーボレー弾は印象的な一撃となった。
ユニフォーム姿で会見に臨んだ宇賀神は、引退を決断した経緯について、次のように語った。
「今シーズン浦和に戻ってくることになって、引退しに来たわけではないと言わせてもらいました。そのなかで、シーズンが進むにつれて、自分の立ち位置、立場が分かってきたなか、試合に出るために全力でやってきました。その間に、試合に絡めない、監督の構想に入っていないなかで練習するのは難しいと堀之内さんとも話し合ってきました。自分の中でも、ここまでなのかなと日々葛藤していました」
そして約2週間前、来シーズン以降の話をクラブとするなかで、引退を決めた。
「チームの力になれるのかどうかという話をしました。そこで選手としてはここまでではないかという話もあり、浦和レッズの力になれないのであれば、ここで終わるべきではないかと思い決断しました」
「決してサッカーが上手い選手ではないし、飛び抜けた能力はありませんが、日頃からピッチに立った際には笛が鳴るまで100パーセントで戦い続ける。先輩が見せてきてくれたことを、またピッチで後輩たちに示せたのは、浦和の男としての生き様だったと思います」
一番印象に残っている試合は2014年のリーグ最終節、勝てばリーグ優勝を決められたものの0-2で敗れたホームでのガンバ大阪戦を挙げた。
「最高の雰囲気で勝つことができなかった。自分もビッグチャンスを決め切れなかった。嬉しい思い出よりも悔しい思いでのほうがすごく残っています」
そして最も印象に残っているゴールは、やはり2021年度の天皇杯決勝・仙台戦での優勝決定ゴールを挙げた。
また、印象に残っているアシストは、2015年5月2日のG大阪戦(〇2-0)でのズラタンへのクロス。「自分のサッカー人生を表わすようなプレーだった」と振り返った。
また、今後については、まだ何も決まっていないという。ただ宇賀神は「夢はGM。責任者になることがまず目標で、クラブがいるべき場所にもう一度戻さないといけない」と、浦和のゼネラルマネージャーになることを目標に挙げた。
「Jリーグといえば浦和レッズ、アジアでも代表するのは浦和レッズと言われるように、そういうクラブになることを見据えて、浦和レッズのGMになりたいと思っています。このエンブレムを背負って闘う人間の覚悟と責任、サポーターが自信を持って『俺は浦和レッズが好きだ、レッズは人生なんだ』と言ってもらえるクラブにしたいです」
そのように宇賀神は、強化責任者として浦和を日本を代表するクラブにしたいと語った。
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通算成績はJ1リーグ294試合・16得点、J3リーグ64試合・4得点。ルヴァンカップ41試合・2得点、天皇杯29試合・6得点、ACL30試合・2得点。サッカー日本代表(SAMURAI BLUE)としても1試合に出場している。