【Jの輪】新潟で育まれし個性派たち。西大伍→千葉和彦→河原和寿

西大伍(左)から千葉和彦(右)へ。そして次は――。(C)りおた・(C)茉莉香

アルビとともに飛躍した”根はとても熱いヤツ”ライン。

 JリーガーがJリーガーの友達を紹介していく「Jの輪」は、鹿島アントラーズの西大伍が「新潟時代に一緒にプレーしたことで、僕の技術や考え方も向上させてくれた」と言うサンフレッチェ広島の千葉和彦につながっていった。

「新潟では最終ラインで隣同士のポジション(千葉がCB、西がSB)に入り、ピッチでたくさん会話をしなくても、やっていくうちにいろいろ感じながら気付かせてくれた。パスや視線のコミュニケーションをとてもスムーズに取れて、そのやり方を覚えたのも千葉選手のお陰でした」

 西はそのように千葉への感謝を惜しまない。

 その千葉は「西大伍を日本を代表するサイドバックとして育てたのは俺だという自負はありますね(笑)」と豪語。二人が一緒にプレーした2010年、右サイドはのちにベストイレブンを受賞するマルシオ・リシャルデスと西が形成していた。「マルシオとサイドのコンビを組むことで、オーバーラップするタイミングやボールの運び方を学んでいったと思います」と、千葉は述懐している。

 西とマルシオ・リシャルデスがそれぞれを高め合い、その重厚なアタックを最終ラインで支える千葉もまた基本的には徹底的に守備に集中できる環境にあり、相手エースを封じていく。チーム内にそんな相乗効果が生まれていたのだろう。

 そんななか、そのマルシオ・リシャルデス(2010年16ゴールを記録)や韓国代表FWチョ・ヨンチョル(同11ゴール)ら助っ人アタッカー陣と競い合っていたのが、2007年のU-20ワールドカップに出場した「調子乗り世代」のストライカー河原和寿だった。

 2009年にレンタル移籍を決断した栃木SCで13ゴールを奪い、その能力の高さを改めて示した。ただ2010年当初、千葉も河原もなかなか試合に絡めずにいた。

 千葉は「河原が毎朝迎えに来てくれて、楽しい思い出がたくさんある。同期の5人で集まってボーリングに行ったり飯に行ったり。一方で、週に二回くらい若いヤツらで二部練習もしていて、『これからどうなんだろう』とみんな先行きが見えず、不安を抱きながらも生活していた時期でした」と振り返る。そして、「ただ、あの時があったから、お互いに今なお頑張れていると思う」と受け止める。

 2010年途中に移籍を決断した河原は、大分、栃木を経て、13年に愛媛FCに加入した。すると、それまで蓄積された経験と能力と様々な想いが結実し、プロ10年目の14年、公式戦通算得点の自己最多を更新してみせた(15ゴール=リーグ13点、天皇杯2点)。さらに翌年にもリーグ11ゴールを奪取。そのように結果を残し、愛媛の顔と言える存在になっていった。

 新潟でつながっていった3人。いずれも明るく独自の世界観を持つ個性派だが、根はとても熱く、サッカーに対してとても真摯=まっすぐだ。

 河原にとって千葉はどんな存在だったのか? 彼がつなぐ友人は誰か? 

 7月7日(金)、河原選手の記事をアップする予定です。

文:サカノワ編集グループ

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