【移籍の舞台裏】神谷優太が愛媛へ武者修行。東京Vユースから 青森山田高に‟移籍”した時と共通する覚悟

神谷が湘南から愛媛への移籍を決断した。(C)SAKANOWA

湘南で観る人を楽しませることを覚えて――。

 神谷優太が来季、湘南ベルマーレから愛媛FCに期限付き移籍することが12月19日に発表された。「2020年の東京オリンピック出場」を具体的な目標に掲げ、今一度勝負にこだわりたいと決断した。高校時代、東京ヴェルディユースから青森山田高校へ「移籍」した時のように、彼は徹底的に改めてサッカーと向き合おうとしている。

 U-15、16日本代表に選ばれ、東京都選抜として国体で優勝に導いた。東京ヴェルディのジュニア時代から育てられ、トップチーム昇格後も期待されるアタッカーの有望株だった。しかし、東京ヴェルディユース2年の夏、小学生時代に憧れを抱いた柴崎岳が通っていた青森山田に転校し、周囲を驚かせた。

 彼はその決断の背景について、「ユースの試合でスタメンから外れることもあり、いろんなことを考えてしまっていた。クラブの期待も感じていた。ただ、ここでもう一度、後悔せず、とことんサッカーと向き合いたいと思った。そういう環境をどこかで求めていた」と語っている。

 さまざまな誘惑の多い東京ではなく、冬にはグラウンドの雪かきも練習メニューになる厳しい環境ながら全国制覇も狙える東北の名門。徹底的にサッカーに没頭する日々は、まさに神谷が求めていた苦しくも最高の環境だった。

 背番号10番をつけた神谷は全国高校選手権にも出場し、2016年、湘南ベルマーレに加入する。

 開幕前、とにかく強気な発言をして意気込む神谷に、湘南の曺貴裁監督は「無理に強がるな。ありのままを出していいんだ」と言われた。まだまだ実力不足なのは分かっていながら言葉で武装していた神谷の本心が見抜かれていたのだ。そして彼は足元を見つめ、着々とステップアップして、出場機会を掴んでいった。

 プロ1年目から、J1のステージに立ち、トップ下やボランチなど「10番」にふさわたしい中盤のポジションで、切れのあるドリブル、戦術眼と展開力を活かし、攻撃にアクセントを与えた。ルヴァンカップの甲府戦では19歳ながらキャプテンマークも巻いた。

 しかしU-19日本代表として臨んだAFC・U-19アジア選手権・バーレーン大会のイラン戦で右足を骨折してしまう。チームは5大会ぶりの本大会行きの出場権を獲得し、ケガをしながら現地に残っていた神谷は歓喜の記念写真にも収まった。

 そこから神谷は復帰までに多くの時間を費やすことになる。結果、コンディションをなんとか整えたものの、目標としていた翌年のFIFA・U-20ワールドカップ韓国大会のメンバーから漏れてしまう――。その直後のShonanBMWスタジアム平塚での試合、彼の悔しさを察する湘南サポーターから「一緒に世界へ這い上がろう。俺達の『7番』神谷優太」というメッセージが書かれた横断幕が掲げられ、神谷は目頭を熱くさせた。

 湘南は総合スポーツクラブとして、「たのしめてるか」をスローガンに掲げている。トライアスロン、ラグビー、ビーチバレー……スポーツにかかわる選手やスタッフ、家族……すべての人が楽しむことでつながっていこうという思いが込められている。ただ、サッカーのトップチームに関しては、J1とJ2の昇降格を繰り返してきただけに、「たのしめてるか」という呼びかけに、少なからず違和感を抱く人もいると聞く。

 ただ、高校3年時に徹底的に自らを追い込んできた神谷が、まずプロになって必要だったのは、そんなサッカーをする楽しさを感じることだった。だから強靭とした幹の根を潤すように、湘南で思い切りプレーする「遊び心」を取り戻したことに大きな意味があった。それは一時的だったかもしれない。もしかすると、そんな実感など得ていなかったかもしれない。ただ、彼は明らかにプロフェッショナルだった。湘南のサポーターをはじめ観る者をワクワクと楽しくさせるプレーヤーに育っていったのは間違いなかった。

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