浦和や岡山でプレーしたDF濱田水輝が現役引退「プレースタイル的にも性格的にも地味だったと自覚していますが…」。元U-23日本代表、最後は大宮に所属
岡山時代の濱田水輝。(C)SAKANOWA
プロキャリア17年、228試合に出場。
J2リーグのRB大宮アルディージャは12月14日、DF濱田水輝(Mizuki HAMADA)が2025シーズンをもって現役引退すると発表した。
濱田は1990年5月18日生まれの35歳。アメリカ出身で、浦和レッズユースからトップチームに昇格を果たし、浦和、アルビレックス新潟、アビスパ福岡、ファジアーノ岡山、RB大宮アルディージャでプレーしてきた。186センチの長身を生かした空中戦と対人守備を武器に、J1・J2・J3で通算228試合に出場。ロンドン・オリンピック世代であり、U-23日本代表として、同大会の予備登録メンバーにも名を連ねた。
濱田は大宮を通じて、次のようにコメントしている。
「今シーズンをもって現役を引退する決断をしました。物心がついたときから夢であったプロサッカー選手。不安と期待を抱いてプロの世界に飛び込んだあの日から、17年も続けられるとは想像していませんでした。
プロ生活を振り返ると、苦しいことや上手くいかないことの方が圧倒的に多かったように思います。サッカーでの実績を見れば、自分が若い頃に描いていた理想のプロ生活には遠く及びませんでした。コンスタントに試合に出られたシーズンはほとんどなく、難しい時間を長く過ごしました。
それでも素晴らしいプロ生活だったと言い切れるのは、サッカーを通してたくさん人と出会えて、多くの人に応援してもらえて、いくつものかけがえのない瞬間を経験させてもらえたからです。 難しい時間が長かったからこそ得られた考え方や学びもありました。どんなに苦しい時でも自分を信じてやり続ければ、苦しんだ先には必ず希望があって、道がちゃんと繋がっていくことをサッカーを通して学びました。
これは第二の人生でも大切にしたい貴重な学びです。 もちろん嬉しいことや楽しいこと、一生の思い出となる素敵な瞬間もたくさん経験させてもらいました。勝利の喜びや敗北の悔しさ、試合へ向かう緊張感やスタジアムで浴びる声援、試合に出るための努力やその苦しみ、思い通りにいかない時の悩みや葛藤、その全てが幸せだったと感じています。
プロサッカー選手でなくなることへの寂しさや達成しきれなかったことへの悔しさはありますが、後悔はありません。自分の全てを出し切りました。
これまで浦和レッズ、アルビレックス新潟、アビスパ福岡、ファジアーノ岡山、RB大宮アルディージャの5チームに在籍しお世話になりました。貢献できたと思えるクラブ、力を出しきれずに申し訳なさが残るクラブとありますが、それぞれのクラブでの経験が私を大きく成長させてくれました。
それぞれのクラブに関わり支えてくださった指導者、クラブスタッフ、チームメート、スポンサー企業、ボランティア、地域の皆様に感謝申し上げます。
そしてなにより、いつも応援してくださったファン・サポーターの皆様が私の背中を押してくれました。勝利の後に共に喜びを爆発できた瞬間やピッチで浴びた大声援は、最高の幸せとして私の心に残り続けます。
プレースタイル的にも性格的にも地味だったと自覚していますが、そんな私を応援してくださった皆様は私の一生の宝物です。本当にありがとうございました。
この場を借りて、私をここまで育ててくれた両親と、サッカーを始めるきっかけを与えてくれた兄にも感謝します。小さい頃からサッカーで挑戦させ続けてくれて、応援してくれてありがとう。
最後に、一番近くで支えて応援してくれた妻と子供たち。あなたたちが私の全ての原動力です。どんな時もいつも笑顔で支えてくれて、共に闘ってくれてありがとう。 サッカーが私を育ててくれました。
今後はまた違う形でサッカーに関わり、サッカー界の発展に努め恩返しをしていきたいと思います。 最後になりますが、私に関わってくださった全ての皆様へ。最高に幸せなプロ生活でした。17年間ありがとうございました」
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堅実な守備と誠実な姿勢で最終ラインを守ってきた濱田水輝が、17年に及んだプロ生活に幕を下ろす。




