安西幸輝と内田篤人の逸話「小6の時、僕が手を挙げて」
2018年1月の鹿島の新体制発表会で並んだ内田篤人(左)と安西幸輝(右)。写真:徳原隆元/(C)Takamoto TOKUHARA
鹿島の大先輩を心から慕う理由。質問した内容は覚えていないけれど――。
今回のキリンチャレンジカップ3月シリーズで、鹿島アントラーズのDF安西幸輝が日本代表に初めて招集され、コロンビア戦(●0-1)で途中出場からデビューを果たし、ボリビア戦(〇1-0)では先発出場を果たした。23歳のサイドバックは、国際Aマッチの出場数「2」を記録した。
安西は東京ヴェルディの下部組織からトップチームを経て、昨季、鹿島に加入した。ただ、安西が鹿島に関心を持つキッカケとなった出来事は、かなり過去にあった。そこに安西が心から慕ってきた大先輩である内田篤人が登場する。今季鹿島の主将に就任し、今日31歳の誕生日を迎えたクラブの新たな象徴と言える存在だ。
今から11年前、安西と内田の初対面は、意外な場面で実現している。そのエピソードからも、安西が内田の“舎弟”だと自負する理由が見えてくる。
安西が小学6年生の時、茨城県鹿島ハイツスポーツプラザで開催された関東トレセンに参加していた。その会場に、スペシャルゲストとして、鹿島の内田と興梠慎三(現・浦和レッズ)が訪れていたのだ。そして行事が終わったあと、子供たちからの質問コーナーが設けられた。ちょうど内田が日本代表にコンスタントに呼ばれ始めた頃だ。
「質問がある人?」と内田が子供たちに振る。
「はい!」
真っ先に手を挙げたのが安西少年だった。
すると内田から「すごい! 安西くんのように、そうやって最初に手を挙げられることは、とても良いことだよ」と褒められた。
憧れの選手が、自分の名前を呼び返して褒めてくれた。安西はそれだけで、たまらなく嬉しかった。
安西は当時のことを次のように振り返っている。
「内田さんはきっと、覚えていないと思います。ただ、いったい何を質問したのか、そこが抜け落ちているんですよ」
肝心の「質問内容」は覚えていない。ただ、声を掛けられたことが貴重な思い出になり、その頃から内田が憧れの存在になったという。
ふたりは2018シーズン、安西は東京Vから完全移籍で、内田はユニオン・ベルリンからの復帰で、時を同じくして鹿島のユニフォームを着ることになった。
「あの時から、ずっと憧れてきました。僕は左右の両サイドバックができるので、どちらでも試合に出たい。内田さんから盗めるところは山ほどありますので、そこをしっかり自分のプレーに還元していきたい」
昨年の加入直後、安西はそのように決意を示していた。
初対面から10年を経て鹿島ファミリーとなったふたりが互いを高め合うようにして、アジアチャンピオンズリーグ(ACL)制覇も果たした。そして安西は「アントラーズのサイドバックは花形のポジション。どの年代にも素晴らしい選手がいました。そういった選手たちを越えないと、チームとして強くなっていかない。僕自身もよく分かっています。やらなければいけないことがたくさんあるので、自分の課題と向き合っていきたい」と、『鹿島のサイドバック』としてプライドを培いながら、内田の背中を追いかけてきた。
今季は二人でピッチに立つ機会も増えてきた。持ち味も個性も異なるが、安西は「まだまだ足元にも及ばない」と変わらず内田の技を盗もうと必死だ。
二人が鹿島で再会したことは「運命」とも言える。ただ、その鹿嶋市のイベントに、主力である内田と興梠を派遣しているあたり、鹿島の「戦略」も見えてくる。もちろん安西をその時から狙っていたわけではない。ただ、そういったイベントでさえ、将来的に鹿島を強くする、勝つチームになっていくためのチャンス(かもしれない)と捉え、チームを代表する選手を送り込んでいる。クラブに関わるスタッフ全員が「勝つ」ために微に入り細を穿つ――鹿島の徹底された哲学が、内田と安西をつないだと言っていいかもしれない。
何より、安西少年の心を一瞬で掴んだ内田の所作は一流だ。そして今度は安西が鹿島の一員として、さらに夢を与える存在にもなっていく。第2の「内田&安西」の関係のような、今度は安西の”舎弟”がいつか誕生するかもしれない。
※昨年2月2日に掲載した記事をもとに再構成しました。
取材・文:塚越始
text by Hajime TSUKAKOSHI