【千葉】佐藤勇人が引退記者会見「次はピッチ外で誰よりも走る」
千葉の佐藤勇人。写真:徳原隆元/(C)Takamoto TOKUHARA
指導者以外の道で、ジェフのために「人生を捧げたい」。
ジェフユナイテッド市原・千葉のMF佐藤勇人が10月16日、引退記者会見を行った。現在37歳、プロ20年――。12歳のジュニア時代から「ジェフ市原」時代を知る男は、指導者ではなく別の道からジェフ千葉のために「人生を捧げて」貢献していきたいと語った。リーグ残り6試合、背番号「7」が千葉のために全力でピッチを駆け抜ける。
走って考える千葉のスタイルの象徴的存在でもあった佐藤は、イビチャ・オシム監督との出会いについて次のように語った。それまでは特に「走る」ことを意識していたわけではなかったという。
「2メートルぐらい大きな方がチームに来て、走ることの重要性を教えてくれました。ただ、一度も褒められたことはありませんでした。それでも数年前、ある本で、その方が僕について『死ぬ覚悟でやっていた』と言ってくれているのを読む機会がありました。走ることの重要性を教えてくれた方がそういってくれて嬉しく、さらに、もっと走ろうと思うようになりました。
これからは、もうピッチで走ることはできなくなります。しかしジェフのため、ピッチ以外でも、そこで誰よりも走っていきたいと思います」
また、この引退の発表のタイミングだが、実はもう少し前にチームメイトには伝えようとしていたことも明かした。
「シーズン中盤、あまり成績が良くなくて、そこでチームにサプライズであり、刺激が必要だと感じました。そこで変化を付けられるのであればと思い、チームメイトの前で引退発表をしたいとクラブに伝えました。しかし、クラブからはそこで少し待ってくれと言われ、その時、結局、話はしませんでした」
そしてチームはJ1昇格の可能性が潰えてしまったため、さらにまだJ2残留を確定できずにいるため、”今”このタイミングでの発表を決断したという。
「最終戦やその直前ではなく、クラブとして、まず絶対に残留しないといけない。だから、絶対に話をしたいという話して、このタイミングでの発表になりました」
引退後はスタッフとして千葉に携わりたいという。指導者の道は考えていないということだ。
「本当にジェフに入りたくて、セレクションに2回落ちて、3回目でやっと入ることができて。このエンブレムをつけてプレーする喜びを誰よりも感じてきました。これからもジェフのため、自分の人生を捧げたいと思っています。サッカーしかやってきていなくて、頭も悪いので、何ができるかは分かりません。ただ、ジェフのためにという思いを誰よりも持っているので、自分にやれることを見つけていきたいと思います」
そして背番号7については、「これからジェフを背負っていけるアカデミー種子sンの選手に背負ってもらいたいです」とも語った。
花束贈呈には双子の寿人も訪れ、長年ともに戦ってきた労をねぎらった。
佐藤勇人は1982年3月12日生まれ、37歳。170センチ、68キロ。埼玉県出身。これまでのキャリアは、大増サンライズFC(埼玉県春日部市)、ジェフ市原ジュニアユース 、ジェフ市原ユース、ジェフ市原/ジェフ市原・千葉、京都サンガF.C.、ジェフ市原・千葉。2000年のJ1リーグでデビューを果たしていた。
日本代表1試合0得点。これまでの出場歴は、J1リーグ220試合・29得点、J2リーグ236試合・8得点、Jリーグカップ53試合・6得点。今シーズンはJ2リーグ15試合(1008分)出場・無得点だった。
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[文:サカノワ編集グループ]