【コラム】「船で来たのか?」別室に連れられたサウジアラビアでの思い出│浦和レッズ、ACL決勝を前に――
サウジアラビアの砂漠にて。(C)iStock / Getty Images Plus
お前の入国記録がない――。
2007年9月、北京オリンピック最終予選のU-22サウジアラビア対U-22日本代表の取材のため、私はサウジアラビアのペルシャ湾沿いにあるダンマン(ダンマーム、Dammam)を訪れた。
まさに今現地入りしている浦和レッズのサポーターをはじめサッカー観戦による人の行き来ができたこともあり、2019年からサウジアラビアの観光ビザが日本でも発行されるようになった。ただ当時は国際試合であっても王様からの“招待”がなければメディアも関係者も入国できなかった。一般の人は基本的に入国できないシステムだったので、とても特別な機会だった。
往路は日本代表チームの全関係者とメディアが同乗するチャーター便で移動し、復路はそれぞれ出発時間に応じて複数から選択する方式だった。
到着直前、飛行機の窓から見た一面が砂漠に包まれた光景は衝撃的で今も忘れられない。まさに未知なる世界がそこにあった。
それだけ入国の制約が厳しいとあってピリピリしていたのだが、現地入りすると“ゲスト”としてもてなされ自由に行動できた。スーパーマーケットでは過不足なく商品が並び、アルコールフリーの飲料の品揃えも豊富だった。シリア料理のレストランがあったので勇を鼓して入店してみると、カレー屋だった。美味しかったが、暑くて辛くて汗っかきには堪えた。
また、犯罪を犯した者への罰の厳しさで知られるイスラム教国だが、ツアー担当者からは「若者のスリには気をつけろ!」と念を押されたのはよく覚えている。もちろんサッカー雑誌の取材の仕事で会社から派遣されている立場とあって、滞在した5日間は集団行動の中の一人として取材を淡々とこなしていった。
日本はデカモリシことFW森島康仁が抜擢され、そのパワーとタフさが砂漠の一戦でも効いてスコアレスドローに持ち込んだ。なかなかの出費をかけていた一戦なので1ゴールはほしかった。そこは反町ジャパン。石橋を丁寧にたたいて手堅く1ポイントを日本へ持ち帰った。
さて、0-0のスコアが象徴するように、何か得たようで何も得られなかったような……静かなスケジュールを終えて帰路に就いた時だ――。
自社カメラマンと別媒体の記者・カメラマン、さらにフリーランスのライターさんと5人で行動をしていた。そのサウジを出発する最後の関門、空港のパスポートチェックで、私だけ止められた。
審査官は私のパスポートに張られたビザを睨み、手書きの資料をいろいろ見ている。そして私は、別室へと連れて行かれた。
この時点では、何かの手違いだろうから、まあ大丈夫だなと思っていた(カメラマンは、私が酒を持ち込んでバレたんじゃないかと心配していた。それはない)。
すると椅子に座らされた私は数人に囲まれた。人相の悪い一人の男が「お前の入国記録がない」と高圧的に(見えただけかもしれないが)言う。
『?』
ビザもある。だから入国できた。そういえば審査官が入国時、パスポートに何か書き込んでいたが……。片言の英語による会話だった。今いち噛み合わないのがよく分かる。
男「間違っている。そもそも、こんな便名の航空便などなかった」
チャーター機で来た。チャーター。チャーター。サッカーチームの。ほら昨日、サウジアラビアと日本がオリンピック予選の試合をしたでしょ。
反応が薄い。サッカーに関心がない人は思っている以上にいることを、このタイミングで改めて思い知らされる。
男「船で来たのか?」
いや、違う。飛行機だ。空から来た。
男「ボートピープルか?」
いや、それにしては少し遠すぎる。
メディアのツアーコンダクターは試合当日までしか帯同していなかった。帰国日こそいてほしいと思ったが、まさにそんな予想された“よくない”ほうの展開に進んでいた。
これは参った。私には何もできない。
ふと不安がよぎる。
飛行機の出発が近づいていた。このまま尋問(?)が続き、万が一、間に合わなかったら――。この砂漠の国に、一人取り残されるのだろうか。
いかんせんアラビア語が全く分からない。ここから一人で帰国するというミッション達成は、すさまじい高難度になるだろうとも覚悟した。
と、高官らしい人物がスマートに表われた。
「この手書きの入国時に書き込んだ一人ひとりのIDの数字、これが間違っていたみたいでした。問題ありません。日本チームは強かったですね。またお会いしましょう!」
人相の悪い尋問係は表情を変えず大きく頷いた。万国共通でいる好奇心旺盛な野次馬の一人だったのだろう。「船で来たんだろ」はサウジアラビア流のジョークだったのだろうか……。いまだに分からない。
一文字の手違いらしかった。アラビア文字とあって、私に確認する術もなかった。
終わってみれば、(よくある?)ちょっとした手違い。というだけの話だった。
ひょっとしたら、日本に帰れないかもしれない――。
砂漠のど真ん中にあるダンマンの空港の乾いた一室。途方もなく絶望的な無力感、でもどうにかなるだろうと腹を括ったささやかな冒険心。あの一瞬、心によぎった光と影。サウジアラビアでの、今となっては眩しい思い出だ。
今回500人の浦和サポーターがリヤドに訪れているという。なかには二度目、三度目のサウジ訪問になる方もいるに違いない。近年サウジアラビアは数多くの国際大会を開催しているだけに、同様の問題は起こらないに違いない。想定外さえ楽しめる余裕が、あの時もあれば……いや、むしろ頭も凝り固まった現在のほうがテンパりそうだ。
あれから15年が経つ。いま勢いに乗る早川隼平選手は当時2歳だったことになる。
どのように変貌を遂げ、何が不変のままなのか。サウジアラビア、また行きたいと思う。
今年12月、クラブワールドカップが当地で開催される。ホスト国枠が設けられているため、ACL決勝進出を果たしている浦和レッズの出場権獲得は確実視されている。
[文:塚越始 /text by Hajime TSUKAKOSHI]