「育成現場の待遇をいかに改善するか」原博実氏インタビュー【Jの挑戦③】
Jリーグのこれからについて、原副理事長がより具体的に語ってくれた。写真:徳原隆元/(C)Takamoto TOKUHARA
今後は”コーチのコーチ”にあたるヘッドオブコーチングやコーチングダイレクターの人材育成も大切に。
FIFAワールドカップ(W杯)ロシア大会の中断期間を経て、7月18日にJ1リーグが再開する。Jリーグは誕生から25周年の節目を迎え、ここからまた新たにさまざまなチャレンジをしていくという。Jリーグの原博実副理事長に、次の25年への課題と展望を聞いた連載3回目(最終回)。Jクラブの現場で聞かれる育成スタッフの待遇など少し具体的なテーマにも話題は及んだ。(3回連載/2回目)。【→前回はこちら】
――Jリーグクラブライセンスの規定があるためユースチームなど下部組織を整備したものの、育成までなかなか手が回らないというクラブの話もよく聞きます。
育成スタッフの待遇を良くしなければいけない。育成にもっとお金を使う。クラブのトップである社長のマインドが変わらないと、そこは改善されていかない。
だからクラブの社長であり、GM(ゼネラルマネジャー)、SD(スポーツダイレクター)、さらに指導者を指導するヘッドオブコーチング、コーチングダイレクター、そういった人材が育ってくることが肝心。結局、目先の勝利に追われるだけのクラブになってしまうから。人も育てていけないと、地元の心は掴めない。
――なるほど。昨年ドイツで約3週間、ブンデスリーガの試合や練習を取材したのですが、指導メソッドの質の高さには驚かされました。そのシステムの一長一短や流行りなどもあるにせよ、正直、Jリーグとブンデスリーガでは、指導者の戦術への探求心に差を感じました。Jではなかなか若い指導者が活躍できずにいます。
そこも踏み込まないといけない。言い訳になってしまうが、中体連、高体連の指導者の皆さんは基本的に教員という立場で所得も安定している。一方、Jの育成組織の指導者は専門的な立場であるにもかかわらず、好待遇とはいえない場合もある。
その点はクラブトップの意向に懸かってくる。クラブがどこにお金を使い、どこを大事にしないといけないのかを考えないと。指導者も1年契約で、すぐ結果を残さなければ退団させられるから、どうしても目先の結果で評価されてしまう。プロにつながる個を育てるトライができているのか、そこも精査と改善をしていくとき。
もちろん、いいタレントがJクラブの育成組織から育っているのは事実。ただし、グラウンドが離れた場所にあり、移動だけで時間とお金がかかってしまうチームも多い。だからこそ、地元の学校との連携を含め、やれることから考えていくべき。今後、指導者を見てあげる指導者(ヘッドオブコーチング)も必要な存在になる。フルタイムの雇用ではなくても、例えばJリーグの選手を数多く輩出して定年を迎えられた元監督の方に、アドバイザーなどの形で加わってもらうなど、地元にある力を巻き込めれば、お金がなくてもできることはあるはず。
――かなり以前ですがドイツにいた際、ブレーメンのホームスタジアムのヴェーザーの畔に何面もグラウンドが整備されていて、そこで言葉も通じない外国の仲間同士でボールを蹴るようになりました。今はブレーメンの環境もだいぶ変わってしまいましたが、”とりあえず”グラウンドに行けば人との接点を持てるドイツの環境はやはり素晴らしかったです。
日本では高校まで何かを犠牲にしてまでサッカー部で取り組み、そこで、はい、終わり、というケースが多い。それでは文化にならない。サッカー好きの国は、大人になってもやれる環境が整っている。そういう意味でグラウンドは必要。グラウンドがあれば、いろんなレベルや世代の人が楽しめる。
そう考えると、スタジアムよりも、練習場が重要だろうね。人工芝でいいから、気軽に行ける立地に積極的に増やせればいい。それこそがJリーグ百年構想が目指す環境でもある。
――少子高齢化により、人々のJクラブへの要求が変わってきている。加えて多様化する娯楽の中で、サッカーに目を向けてもらいたい。では、Jクラブが地域でどのような役割を担っていくべきなのか。
Jリーグ開幕25周年を記念して開催したワークショップで、これからの25年、Jクラブは社会連携で地元と絡んでいかないと、という話になってね。サッカーだけ強くなればいい。それだけではダメだと。
もちろんトップレベルの水準を引っ張り上げないことには裾野も広がらない。そのために規制緩和が必要だと考える。
一方、現在は38都道府県54のJクラブがある。ほぼすべての都道府県にJクラブがあり、今後は100クラブをも目指せるかもしれない。しかし、私がちょうどいいと考えるのは、J1からJ3まで計60クラブ。あとは競争して昇降格をしていければいいと考えている。JFL以下との連携は日本サッカー協会と整理する必要もある。クラブを増やすことに否定的な人もいれば、まだ少ないという人もいる。それに次の25年、新しい競争のステージに入り、お金の回り方を変えていくことも大きな柱になってくると思う。
――原さんを初めて取材したのが2002年、FC東京の監督時代でした。当時を考えれば、まさかJリーグが3部まで、54クラブもできるとは思ってもみませんでしたね。そしてJリーグ副理事長の原さんと、こうしてお話をするとも。
あっという間だね。ただ、夢はありますよ。それをやっていくのはけっこう大変。大変だけど、今、チャンスだと思っている。ちょうど25周年。Jリーグを今後どうするのか? いろんなタイミングを迎えている。過去を振り返り、その延長線上でいいのか、新たなチャレンジをしていくべきなのか。俺はチャレンジしないといけないと思う、今こそ。
でも、ちょっとのチャレンジではダメなんだ。中国のあの莫大な資金には勝てない。それとは違う良さが日本にはあるはずだから。まず、アジア中の選手、監督、さらにスタッフ、トレーナー、サポーターが来たいって、そう思えるJリーグにしたい。ツアーを組んでくれたり。タイの選手も、Jリーグに来てどんどんレベルが上がっている。一方、イニエスタ、フェルナンド・トーレス、ポドルスキが加わってくれて、彼らが頂きを引き上げ、多くのトップレベルの選手がしのぎを削り合う。そうなっていければ、いいよね。
――これから先のJリーグ、どのように地域に浸透していくのか楽しみです。とても興味深い話を聞かせていただき有難うございました!
取材・文:塚越始
Hajime TSUKAKOSHI
※この連載は今回で終了です。7月24日(火)に3回の連載を一本にした形で改めて掲載させていただきます。