【G大阪】昌子源の憧れは宮本監督ではなくあのFW「当時まだCBではなかったので…」
昌子源。写真:徳原隆元/(C)Takamoto TOKUHARA
「鹿島に8年いたので、ガンバの血を蘇らせる」
フランス1部のトゥールーズFCからJ1リーグのG大阪に加入が決定したDF昌子源が2月5日、パナソニックスタジアム吹田で記者会見に臨んだ。その一部がクラブの公式サイトで公開されている。
昌子は次のように”古巣”でもあるG大阪のユニフォームに袖を通した思いを語っている。
「ガンバ大阪に帰ってくることになりました。僕自身ジュニアユースでお世話になり、そのあと違うチームでライバルとして戦っていましたが、この度戻ってくることができて感謝しています。しっかりここで結果を残すことだけを考えて、チームの目標である優勝に手助けというか、自分が引っ張っていくつもりで来ているので、実行できるように頑張っていきたいと思います」
そのように最終ラインで支えつつ、チームを引っ張っていくような存在になりたいと語っている。
そのジュニアユース時代、昌子のチームメイトだったのが宇佐美貴史だった。
「(G大阪加入が決まった時は)非常にワクワクしました。何人かの選手は代表でもやっていますし、当時(ジュニアユース時代)僕も宇佐美選手と同じようなポジションでプレーしていて、逆立ちしても勝てない存在だった。そんな選手とポジションは変わったけれど、こうして同じチームでできることを嬉しく感じています。顔見知りの選手やお世話になったスタッフもいますし、恩返しできるように強い気持ちを持ってここに来ました」
G大阪のイメージについては次のように語る。
「中1だった2005年に優勝して、宮本監督やコーチの山口さんなど……ただ当時僕はセンターバックではなかったので注目していたのはアラウージョ選手でした。が、そういった選手がいて、攻撃力のあるいいサッカーをするチームだと思っていました。ガンバに戻ってこられて、監督の求めるサッカーを後ろから支えていきたいなと思います」
また、宮本監督は昌子について、G大阪ジュニアユースにいたからガンバのDNAが残っているはずと語っていたという。それについて昌子は次のように語る。
「正直言うと、鹿島に8年いるともちろん鹿島の血が多くなりますが、ガンバにもお世話になってきたその血を自分の中で蘇らせたいと思います。青黒のユニフォームに憧れてジュニアユースに入り、高校でも自慢していたので、もう一度トップチームのそのユニフォームで出て、いただいた背番号『3』をいろんな方に自慢できるようにしていきたいと思います」
昌子らしいと言える。謙虚だが負けん気の強い思いを吐露している。
昌子は12月14日に行われるJリーグキックオフカンファレンスに参加予定だ。
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[文:サカノワ編集グループ]