開幕鮮烈ミドル&初勝利アシスト。山中亮輔にとって必然か、偶然か?
横浜FMの山中亮輔(24番、18年元日、天皇杯決勝より)写真:早草紀子/(C)Noriko HAYAKUSA
新生・横浜F・マリノスの象徴の一人。彼は少し考えて答えた――。
開幕のセレッソ大阪戦で鮮烈のミドルレンジからの一撃を突き刺し、4節の浦和レッズ戦ではウーゴ・ヴィエイラの決勝点をアシスト。左サイドバックの山中亮輔がいずれもゴール前に進入し、ひと仕事をやってのけた。アンジェ・ポステコグルー監督のもと、新生・横浜F・マリノスを象徴する一人として躍動している。
今季の横浜FMは正確なキックとドリブルや”3人目の動き”を織り交ぜて、サイドを徹底的に崩して切れ込み、その隙を突いて中央からも打開するスタイルに挑戦。開幕からなかなか目に見える結果(=勝利)を残せずにいたが、3月18日の浦和戦で待望の勝点3を掴んだ。
対策を練ってきた浦和は前から人数をかけてプレスをかけにきた。しかし、その勢いが徐々に弱まってきたところを見逃さず、「外(サイド)を通ったほうがスムーズにボールを回せていたので、ピッチ内で話し合い、自分たちでそこから崩していこうと考えながらやっていました」と山中は説明する。
浦和とのサイドの駆け引きで”いける”と判断。ユン・イルロクや天野と連動し合いながら打開し押し込んでいく。そして86分、今度はゴール前中央にぽっかりできたスペースを山中が突いて入り込む。すると「司令塔」のようなポジショニングからパスを放ち、ウーゴ・ヴィエイラの決勝ゴールをお膳立てした。
「去年たくさん試合に出ていたとはいえ、新しい監督になって、レギュラー争いは白紙に戻りました。監督の求めることをできなければ試合に出られないので、まず挑戦しようという気持ちでやってきました。その監督を信じて、今も取り組み、こうして成長できていると実感できています」
少しずつ着実に結果を残しているが、まだ絶対的なレギュラーだとは山中自身も全く思っていない。ただ、だからこそ新鮮に、楽しく、思い切りチャレンジできていると言う。
「味方のポジションを意識して、注視するようになりましたね」
山中はサッカーの取り組み方や考え方で、そこが最も変わった点だと言う。
「ボランチのタカくん(扇原)があそこにいるから、僕は一個前に上がろうとか、そういうところを一人ひとりが動くと常に考えています。今までになかった考え方です。目が合ったからとかではなく、一つの動きに、自分も合わせて動こうと」
なるほど。先の先を見据え、相手よりも優位なポジションを選択する戦略――ポジショナルプレーの一端がうかがえる。では、山中のゴールとアシストも必然だったのでは? そう聞くと彼は少し考えて答えた。
「うーん……。正直、もっとチャンスは作れていました。自分のところだけでなく、いつゴールが決まってもおかしくはない状況でした。それがたまたま僕のところに来ただけだった。ラッキーだったと思います」
いつか、誰かが決めていた。ポジションは関係なく、それがたまたま自分だった。その謙遜がまた生まれ変わろうとする横浜FMを支え、新たなものを吸収する原動力にもなっているのだろう。
取材・文:塚越始
text by Hajime TSUKAKOSHI