【鹿島】東京五輪エース候補の上田綺世、開催地決定した8年前は「思う進路に進めず一番苦しい時だった」
上田綺世。写真:徳原隆元/(C)Takamoto TOKUHARA
「金メダルという日本の目標に対し、どれだけ貢献できるかを意識していきたい」
東京オリンピック日本代表メンバーに選ばれた鹿島アントラーズのFW上田綺世が6月22日、オンラインによる取材に応じて喜びとともに、五輪本番への決意を口にした。
オリンピックの開催地が東京に決まった2013年9月、「僕は15歳から16歳になる時(8月28日生まれ)。他人事と言いますか、五輪に関与するとは微塵も思っていませんでした。思う進路に行けず、むしろプロになれるか不安でいっぱいな、一番苦しい時だったと思います。東京五輪は雲の上、僕に関係ないところにありました」
鹿島ジュニアユースからユースに昇格できず、鹿島学園高に進んだ時にあたる。ただ、そこからむしろ力強さを増し、最前線に立ち続けることで急激に進化を遂げていった。
そして法政大1年生の時、東京五輪を目指すチーム(当時U-21日本代表)が活動を開始。上田は招集され、「自分が代表に入るというイメージがなく、そこをチャンスに変えて、代表で活躍することでキャリアアップし、プレーヤーとしての価値を上げていきたいと考えました」。
代表の重み。それをまだ理解できるような状況や立ち位置にはなかったと振り返る。ただ、そこからコンスタントに招集され、そして鹿島行きを決断。「チームの勝利のため」という、プロフェッショナルの道をそこからは追求してきた。
「(年代別代表の初招集)そこから2年が経って鹿島でプロになり、代表にコンスタントに呼んでもらえるようになってからは、『日本を背負って戦うとはどういうことか』を前提に、一番前に立つ日本のフォワードとして、チームを勝たせるため、どういうパフォーマンスが必要で、どういう引き出しを増やしていくべきかと考えていくようになりました」
この東京五輪は「それがどういうことかを理解し、積み重ねてきたことを見せられたらと思います」という挑戦の場になる。
「自分のやってきたことがつながり、ようやくスタートラインに立てたと思っています。この五輪での活躍やパフォーマンスが、今後のプロとしてのキャリアにも大きくつながると思います。やはり五輪、金メダルという日本の目標に対し、どれだけ貢献できるかというところを意識していきたいです。東京でこの年齢で(22歳)、何かの縁でありそれは幸運だと思います。このチャンスを自分で生かせるように準備していきたいです」
日本のエース候補――上田が自信をより深め、1年遅れの「TOKYO2020」のステージに立つ。
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[文:サカノワ編集グループ]