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【C大阪】大久保嘉人が引退会見。最も記憶に残るゴールは?家族会議では「5人目?女の子?」と子供たちが一瞬喜ぶ

C大阪の大久保嘉人。写真:徳原隆元/(C)Takamoto TOKUHARA

登壇直後に声を詰まらせる。「本当に最高のサッカー人生でした」

 今シーズン限りでの現役引退を決断したセレッソ大阪の元日本代表FW大久保嘉人(OKUBO Yoshito)が11月22日、引退記者会見を行った。その模様がYouTubeのクラブ公式チャンネルで中継された。

 スーツ姿で記者会見場に登壇した39歳のストライカーは、「大久保嘉人は……」と言ったあと、涙で声を詰まらせた。

「今シーズンをもって引退します……。20年間という長い間でしたけれど、本当に最高のサッカー人生でした。伝えたいことはたくさんあるのですけれど、皆さんに感謝を伝えたいと思います。ありがとうございました。泣かない予定でしたけれど、速攻で泣いてしまいました」

 そのようにあいさつをしたあと、大久保はスパイクを脱ぐ決断を下した理由を次のように語った。

「動けるうちにまだまだできるだろうと言われるうちに辞めたいと思っていました。それが今かなと思い決断しました」

 そしてJ1リーグ通算191得点で、200ゴールに届かず。その記録については、「とりたい気持ちはありました。だけど、まだまだ自分の力が足りなかったのかなと思います」と語った。

 また11月16日に決断を下し、そのあと妻、そしてクラブに伝えたという。

「こういう性格で、決めたことは曲げないので、気持ちを固めて、すぐ妻に伝えました。『本当にそれでいいの?』とまだ整理がついていない感じでした」

 そして19日の発表前日、神奈川の自宅で「家族会議」を開いたという。

「決めて発表する前日、横浜へ帰りまして、子供たちが夜10時過ぎに帰ってきたあと、全員を椅子に座らせました。子供たちは何を察したか、『5人目? 女の子?』と言われまして。

 いや、そうじゃないんだ、サッカーを辞めることを決めたと伝えました。

 長男は分かり、お疲れ様と言ってくれました。(家族は)また一緒に暮らせる嬉しさとサッカー選手でなくなる寂しさがあるように感じました。

(一緒に暮らしてきた)三男は大阪の友達ができたので、もう別れるの? という寂しさと家族で暮らせる嬉しさで、どう表現していいのか難しいようでした」

 最も記憶に残る得点は、2001年、ジュビロ磐田を相手に決めたプロ初ゴール――。そして最前線であらゆるプレッシャーと戦ってきた思いを吐露した。

 当面の目標は「ゴルフで90を切りたいです」と語った。一方、「まだライセンスゼロですが」指導者などサッカー界に携わっていきたいと明かした。

 大久保は1982年6月9日生まれ、福岡県出身、39歳。170センチ・73キロ。

 苅田SSS ― 国見中学校 ― 国見高校 ― C大阪 ― RCDマジョルカ(スペイン)※期限付き移籍 ― C大阪 ― ヴィッセル神戸 ─ ヴォルフスブルグ(ドイツ) ─ ヴィッセル神戸 ─ 川崎フロンターレ ─ FC東京 ─ 川崎 ─ ジュビロ磐田 ─ 東京ヴェルディ ─ C大阪

 2004年アテネオリンピック日本代表。日本代表(SAMURAI BLUE)として60試合・6得点。2010年南アフリカW杯では右MFの主力として、ベスト16進出に貢献、2014年ブラジルW杯にも参戦した。

 国内の通算成績は、J1リーグ474試合・191得点、J2リーグ48試合・18得点 、ルヴァンカップ38試合・12得点、天皇杯39試合・21得点。ACL通算18試合・2得点。

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[文:サカノワ編集グループ]

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