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【大宮】GK南雄太が引退会見で伝説オウンゴールを解説「ボールを転がそうとしたら中澤聡太から…」

南雄太。写真:上岸卓史/(C)Takashi UEGISHI

「今でもはっきり覚えています」。アキレス腱断裂からの復活、引退後に考えている“3つの選択肢”など語る。

 大宮アルディージャの元日本代表GK南雄太が11月27日、引退記者会見を行った。プロ26年間というキャリアに終止符を打つことになった44歳のゴールキーパーは、アキレス腱断裂からの復活、今後のキャリア、そしてあの伝説のオウンゴールについてなど語った。

 南は昨年5月、アキレス腱断裂の大ケガを負った。しかし、そこからリハビリを遂げて、44歳にして公式戦のピッチに立つまで復帰を果たした。

 南は当時のことを振り返る。

「トレーナーと一緒に病院に行った時、正直これで終わりだろうなと思いました。引退したくなったというのではなく、状況的に、すでに42歳で、これでもうないなぁと思っていました。

 そこから大宮が契約を延長してくれたことが全てで、それがあって復帰できて、試合にも出られて、そこまで持ってこられたのはトレーナー、ドクターのまずお陰でした。

 また同じ境遇の人から温かい声をいただいて、少しずつ回復するのを自分のことのように喜んでくれました。この年齢で試合に出られるところまで持ってこれたことは、リハビリなど辛いと思っている方の希望になれたら嬉しいです。自分もそういった方たちに支えられてここまで来ることができたので感謝しています」

 またスパイクを脱いだ後のキャリアについて、次のように語る。

「やってみたいことについて勉強していきます。解説者をやってみたいです。また強化も興味あります。ゴールキーパーコーチは経験をダイレクトに伝えられるのでやってみたい一つです。他にもオファーがあれば食いついていきたいです」

 そのように具体的には、解説者、強化、GKコーチを、選択肢に考えているということだった。

 そして柏レイソル時代、2004年のサンフレッチェ広島とのアウェーゲームで、柏ゴールにまさかボールを投げ込んでしまった、あのオウンゴールについて……。記者から「聞きにくいんですが……」と問われると、南は「オウンゴールですか? 聞いて下さい」と笑顔で応じた。

「最初の2、3年は笑い話にもできませんでした。ワンプレーでこれだけ影響があるんだと、その怖さをあのオウンゴールで知ることができました。たった一つのミスでいろんなものがこんなにも激変してしまうものなのだとすごく感じました。

 自分は決してサイズがあるわけではなく、能力が高いわけではなく、そういうものがずっとコンプレックスにあったなか、安定感の部分で勝負していくしかない。そう思っていたなか、一つのミスでいろんなものを失う経験をしました。それは間違いなくその後のサッカー人生に生きました。あとはこのオウンゴールで、今頃になってこのことで仕事の案件が来たり、やってはいけないことなのですけれど、自分でも驚いています」

 さらにその質問が続くと、南はむしろ喜んで応じた。そして当時のことを「今でもはっきり覚えています」と詳しく振り返った。

「そこにいた中澤聡太へボールを転がそうとした時、聡太から『あっちフリー!』と言われたんです。それでフリーでいた近藤(直也)に投げようとした瞬間、そこへサンフレッチェ広島の3選手がガっと走ってきていて『あ、やめよう』と思ったら、もう(ボールを投げてしまい)オウンゴールになってしまいました。半分ぐらいは聡太のせいですね」

 またSNSやユーチューブで、現在ではこのシーンがずっと残っていて、世界中で語り継がれてしまっている。そのあたりは南は苦笑いを浮かべていた。

「(SNSがなければ?)そう心から思っています。著作権を持っていればよかったですね。あってはいけないことなので本来は……。ただ記憶の一つとなってもらっていることは有難いことです。でもあの試合後、レイソルサポーターにバスを囲まれたのは忘れません。超怖かったですね。窓越しにいろいろ言われました」

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 南はそのように語った。結果的には、そうした経験があって、こうして26年のプロキャリアにつながっていった。ある意味、選手としてのキャリアは終えても、ここからいろいろな面で”世界”に向かっていくポテンシャルをも備えている!

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