【浦和】スコルジャ監督復帰決定までの経緯は? 堀之内SD、交渉は「数週間前から」。「私一人で彼を連れてきた、ということはない」
浦和のスコルジャ監督。写真:上岸卓史/(C)Takashi UEGISHI
「誰か一人の意見で監督が決まるということはありません」
J1リーグ浦和レッズの堀之内聖スポーツダイレクター(SD)が8月28日、ペア=マティアス・ヘグモ監督の解任、マチェイ・スコルジャ監督の復帰というトップチームの体制変更について、メディア取材に応じた。その全文がクラブ公式サイトで掲載されており、そのなかからカギになる部分をピックアップしたい。
ヘグモ監督のもと、“後傾”から“前傾”へのシフト、主力流出による若手への世代交代……。そういった転換期にあったなか、成績は伴わずにいたものの、鹿島アントラーズ戦(△0-0)、豪雨で中止になった川崎フロンターレ戦(前半1-0でリード)とチーム状態が上向いていたが、浦和のフットボール本部は監督交代を決断した。
そして堀之内SDは、スコルジャ監督とは「数週間前から」交渉していたと明かしる。成績が伴わずにいたなか、指揮官交代の準備は進められていたようだ。
堀之内SDはスコルジャ氏との交渉開始について、「具体的には申し上げられませんが、数週間前です」と答えている。加えて、複数人をリストアップしたなかで話を進めていたとも説明している。
「監督の候補という意味では、選手のスカウティングと同じで、常に我々フットボール本部内でウインドーに限らず、年間を通してリストアップしています。今回も、スコルジャ氏一択だったわけではありません。ただ、やはり大きかったのは昨年の成功体験と言いますか、我々も昨年1年間を彼と共に過ごしたなかでの、彼に対する信頼があったというのが(オファーの理由として)一番大きかったと思います」
一方、スコルジャ監督のスタイルでは、堅守が優先され迫力を欠くサッカーになってしまうのでは? という懸念もある。そのあたりが課題だったため、攻撃的な4-3-3をメインとするヘグモ監督が招へいされたのではという指摘には、次のように答えている。
「その展望について、具体的に時間を割いて綿密に話してはいませんが、実際に彼がレフ・ポズナン時代に志向していたサッカーは、より攻撃的で点も取れ、守備も堅いというサッカーをしていましたので、本来彼が志向しているサッカーはより攻撃的なものだという話は、昨年の時点ですでにしていました」
確かに、スコルジャ体制下のレフは攻撃的なサッカーで知られていた。スコルジャ監督が率いた昨季の浦和は超過密日程だったため、その目指したい本来のスタイルを浸透させられなかった部分もあった(本人も現実主義を優先させたとも言っていた)。
そういった意味では、スコルジャ体制の“攻撃的”な第二幕への期待は膨らむ。
また田口誠社長が、堀之内SDが昨年のスコルジャ氏招へいに一役買ったと評価していたという話について。「責任者になった人が監督とセットになっているように見える」という指摘に、堀之内SDは次のように「フットボール本部総意での判断」と強調している。
「田口の声明に私の名前が出てきたことはもちろん知っていますが、私一人で彼を連れてきた、ということはありません。フットボール本部内の役割の一つとして、私も彼を連れてくるプロジェクトには当然関わっていましたが、私一人ではなくフットボール本部のメンバー全員で、いろいろな役割の中で彼を連れてきたというのが事実です。
さらに言うと、マティアス前監督についても同じ過程を経ています。一個人の趣向で監督を連れてくることは、まずありません。フットボール本部内で主観、客観、データ、いろいろなものを精査した結果、数ある候補の中から決定するというプロセスがあります。繰り返しになりますが、誰か一人の意見で監督が決まるということはありません」
家族の事情でポーランドへの帰国を選択したスコルジャ監督だが、その点は解消されたということだ。スコルジャ監督が昨年果たせなかった、やり切れなかったという“野望”。どのように浦和で実現されるのか楽しみにしたい。