「名将!」川崎の元チームメイト都倉賢と鬼木監督が交わした心温まるエール
北海道コンサドーレ札幌のFW都倉賢。写真:徳原隆元/(C)Takamoto TOKUHARA
新人、引退、キャリアの好対照な時期にともにプレー。
北海道コンサドーレ札幌のFW都倉賢が9月15日の等々力での川崎フロンターレ戦(川崎が7-0で勝利)のあと、メディア対応をしているところに、川崎の鬼木達監督が通りかかった。
2005、06年の2シーズン、ふたりは川崎でチームメイトとしてプレーしている。都倉は川崎U-18から昇格した新人として、そして鬼木監督はプロ14年間のキャリアの締めくくりに、いずれもキャリアとしては対照的な時期に重なっている。
鬼木「おい、元気そうだな」
都倉「お疲れさまでした、名将!」
鬼木「やめろよ」
都倉「すいません」
鬼木「最近、本当に良いじゃないか。点が取れるようになってきたな」
都倉「ようやく。ようやくです、コツが分かってきました」
鬼木「もっと取れるぞ」
都倉「ありがとうございます!」
そんな短いやりとりだった。
ただ、そこにはやはり元チームメイトだからこその特別な空気が流れていた。
都倉は05年からの川崎での3年半、リーグ戦6試合0得点と結果を残せず、移籍先の草津(現・群馬)で09年に43試合23得点とブレイク。再びJ1への挑戦権を得た2010年から13年途中までの神戸を経て、札幌に加入。そして札幌ではJ2時代から昨季まで、4年連続公式戦二桁ゴールを決めている。
一方、鬼木監督は93年に鹿島アントラーズでキャリアをスタートさせ、2000年に移籍した川崎のDFの中心選手としてJ1昇格に貢献した。J1では05、06年と2年間はなかなか出場機会に恵まれず引退を決断。07年から川崎での指導者人生をスタートさせ、昨年トップチームでの監督1年目にリーグ優勝を果たし、現在に至っている。
同じ川崎のユニフォームを着て戦ったときから13年が経った。それぞれがJ2とJ1への行き来など紆余曲折や試行錯誤を重ねながら、今、ともにJ1の舞台で、監督と選手として戦っている。これもまたJリーグの一つの時代を物語る心温まる光景だった。
取材・文:塚越始
text by Hajime TSUKAKOSHI