ガンバ大阪 初代監督 釜本邦茂氏が逝去。日本代表歴代最多75ゴール
1977年9月、ペレ氏のサヨナラゲームで記念撮影する釜本氏(右)。写真:岡沢克郎/アフロ
81歳、かねてから療養中だった。
日本サッカー協会の元副会長で、ガンバ大阪の初代監督である釜本邦茂氏が8月10日午前4時4分、大阪府内の病院で肺炎のため、逝去された。81歳だった。かねてから療養中だった。
釜本氏は日本代表としてメキシコ・オリンピックで7ゴールを記録して得点王に輝き、日本に銅メダルをもたらした。Jリーグ誕生の決定したあと、1991年から松下電器で指揮を執り、1993年発足のガンバ大阪の初代指揮官となった。
2005年には日本サッカー殿堂に掲額されている。
通夜、告別式は近親の方々のみで執り行われる。 お別れの会の実施が後日案内される予定だ。
釜本邦茂氏
1944年4月15日、京都府生まれ。府立山城高校、早稲田大学を経て、ヤンマー入り。 早稲田大学時代は、4年連続関東大学リーグの得点王。JSL(ヤンマー)では、251試合・202得点を記録。得点王7回、アシスト王3回、年間最優秀選手賞7回を受賞。
日本代表として、1964年東京五輪、1968年メキシコシティー大会に出場し3位に。7得点を挙げ、得点王に輝く。
国際Aマッチ76試合・75得点で、ゴール数は歴代最多。
1978年、ヤンマーの監督就任。1984年の現役引退まで選手兼監督を続けた。
1991年、Jリーグ入りする松下電器の監督に就任し、G大阪の初代監督として開幕を迎える。1995年に退任。
1998年、日本サッカー協会副会長就任。 2002年FIFAワールドカップ日本組織委員会理事、2002年強化推進本部長を担う。
1995年、参議院議員選挙初当選。2000年、第二次森内閣の労働総括政務次官を務める。
2005年、日本サッカー協会殿堂掲額。