「こいつはモノが違う」「私が選んだのではなく、彼が選ばせた」反町康治技術委員長が吉田麻也の北京五輪日本代表への初招集時のエピソードを明かす

吉田麻也。写真:徳原隆元/(C)Takamoto TOKUHARA

日本サッカー協会公式サイトのコラム『サッカーを語ろう』を更新。

 日本サッカー協会(JFA)の反町康治技術委員長が12月29日、JFA公式サイトで連載しているコラム「サッカーを語ろう」を更新した。そのなかで、日本代表DF吉田麻也の大きく成長した姿に感心するとともに、反町氏が北京オリンピック日本代表チームを率いていた際に初めて招集した時のエピソードを明かしている。

 10月・11月にスイス、オーストリアで行われた国際Aマッチシリーズについて、反町技術委員長が森保一監督の意向を受けて、成績上位のチームとのマッチメイクを目指したことについて改めて説明。4試合のうちメキシコ代表との対戦が最初に決まったそうだ。

 アルビレックス新潟、北京五輪日本代表、湘南ベルマーレ、松本山雅FCと長年に渡り現場で監督を務めてきた反町氏にとって、選手と再会する貴重な機会にもなった。

 そのなかでも北京五輪世代にあたる吉田の成長ぶりには目をみはったという。そして、2008年、吉田を初めてU-23日本代表に招集した際のエピソードを披露している。

「例えば、吉田麻也(サンプドリア)は10月、11月の欧州合宿で私を感激させてくれた。 

 彼を最初に代表チームに呼んだのは、08年北京五輪監督時代の私だが、本大会の08年になるまで私の頭の中に『吉田のヨの字もなかった』というのが正直なところ。それが視察に訪れた試合で『こいつはモノが違う』と感じてチームに招き入れた。『私が選んだのではなく、彼が選ばせた』という感じだった」

 北京オリンピックでは、グループステージ敗退の決まったあとのオランダ代表との第3戦に出場。そこで味わった悔しさを糧に、吉田は名古屋グランパスから海外挑戦の道を選び、A代表のステージでも進化を遂げていった。

「今回、欧州で吉田と久しぶりに対面したが、メディアに対する受け答えにしてもチーム内での立ち居振る舞いにしても『すごいなあ』と仰ぎ見るような思いがした。プレーヤーとしてのみならず、人間的な成長に感じ入ったのだ。

 GKの川島永嗣(ストラスブール)も常に前向きだ。弱音を絶対に吐かない。

 所属クラブや代表の立場・状況で練習態度がぶれるとか、そういうことが一切ない。

 通常の練習の後も居残りで個人的な鍛錬にこつこつと取り組んでいた。サムライブルーとは、そういう選手の集合体であり、生半可な選手では生き残れないことをあらためて感じた。

 コロナ禍で行動を厳しく制限したキャンプの形態を取らざるを得なくなり、かえって優れた人間性がより浮き彫りになったというか。団体行動ができない、決めたルールを守れない、そんな次元の低いところでうろうろしている人間は皆無だ。

 社会性はしっかり備えた上で、サッカーIQの高さで勝負する者、何も考えていないようでたくさんの攻撃のアイデアを持っている者、いろんな個性をピッチ上では発揮できる。そんな選手が今のサムライブルーはそろっていると感じる」

 反町技術委員長はそのように、行動規範を当たり前にこなしたうえで、団体行動を送っていた日本代表の選手たちの姿に感嘆している。

 今回のコラムでは最後、「新型コロナという未知のウイルスの脅威にさらされたこの1年は、誰にとっても厳しいことばかりだったと思います。21年は少しでも明るい展望が開けることを心から祈っています。良いお年をお迎えください」と締めくくっている。

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[文:サカノワ編集グループ]

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