『なでしこのロナウジーニョ』山本絵美がちふれコーチ就任「向いてると思うんです。人と人をつなぐのが、私の長所だから」
ちふれでの山本絵美 写真:早草紀子/(C)Noriko HAYAKUSA
世界への扉を開いた、2004年アテネ五輪予選で大活躍。
WEリーグは発足から3シーズン目の開幕を控え、各チームが準備を進めている。ちふれASエルフェン埼玉のコーチ陣のなかに、昨季限りで引退した山本絵美の名前があった。昨季までプレーしたクラブで、指導者としてのキャリアをスタートさせることを決めたのだ。
まだ「なでしこジャパン」の愛称が生まれる前、世界への扉をこじ開けて2004年のアテネオリンピック出場を決めた国立競技場での北朝鮮戦、山本のキックから試合を決定づける大谷未央のゴールは生まれた。この瞬間のために封印してきた秘策が、そこで見事に決まった一撃だった。
そのプレースタイルを含め自他ともに認める“ロナウジーニョ”似で、現役時代はアメリカ、イタリアでもプレー。そして、夢としてきた日本初の女子プロリーグのWEリーグ発足が決まったのは38歳の時だった。
「やっとできたかという嬉しさ以上に、ちょっと遅いよ! という気持ちが強かったです」という山本だが、そこでちふれからのオファーが届き、盟友である荒川恵理子とともに戦った。
この2シーズンでの出場機会は11試合と限られた。ただ、チームを支える貴重な存在であり、その「役割」について山本も痛感していた。
「スタメン、サブ組と明確に分かれて練習をするので、苦しかったところはあります。そのなかで、みんなで諦めず結果を出すことを考えながら取り組んできました。一緒にやってきた選手たちが最後の試合でピッチに立って、チームのために精一杯あきらめずに戦う姿を見て、何かを伝えられたのではないかなと思いました」
山本はそうした経験を踏まえ、指導者の道に進む。
「どうしても選手と監督・スタッフの距離が空いてしまうことがあります。自分はそこの間に立てる人間になりたい。向いてると思うんですよ。監督として上に立つより、間に立って、人と人をつなぐのが私の長所で、より選手がいい顔をしてサッカーができるような環境を作っていきたいです」
山本は現在、日本サッカー協会公認の指導者A級ライセンスを目指している。
「取れるものは何でも取っといきます。楽しいのはここからですから!」
”なでしこのロナウジーニョ”山本絵美が、大きな笑顔を浮かべる。指導者として、これまでと変わらず、いや今まで以上に、楽しく探求しながらサッカーと向き合っていく。