「DFW」との決別。槙野智章がW杯代表を掴むまでの分岐点。「常に2番、3番手だった」

W杯の日本代表メンバーに選ばれ記者会見を行なった浦和の槙野(右)と遠藤。(C)SAKANOWA

広島時代には9ゴールを記録したシーズンも。

 FIFAワールドカップ・ロシア大会に挑む日本代表のメンバーに選ばれた浦和レッズのDF槙野智章は5月31日の記者会見で、「2010年、14年と2大会、最後の発表のときに名前が呼ばれず、8年間とても苦しい時間を過ごしてきた」と明かし、「どうしたら最後の最後に自分の名前が呼ばれるのか」を考えて取り組んできたという。

「どうすれば周りの選手に勝てるのか。日の丸を背負って世界で戦えるのか。そこに対して時間を割いて努力を続けてきました。今日、自分の名前が呼ばれたとき、いろいろな思いが込み上げてきました。普段一緒にトレーニングをしている仲間、代表で切磋琢磨し合ってきた仲間、サッカー以外の方からもたくさんの刺激をもらい、ここまで来ることができました」

 彼はそのように感謝をした。そして槙野が代表入りへのターニングポイントに挙げたのが二つ。まず2012年のブンデスリーガの1.FCケルンから浦和への移籍だ。

「浦和レッズに来たこと、ここで時間を過ごしてきたことが一番大きかった。たくさんの指導者、たくさんのスタッフたちとの出会いがここまで自分を大きく成長させてくれました」

 彼はそう言って、浦和に関わるすべての人に感謝した。さらに、もう一つが『DFW』――DFでありながらもゴールを狙うというプレースタイルとの決別だった。

「以前はDFでありながらゴールも狙う『DFW』と自分で呼んできたが、そのようなプレーをしていては、監督からみると、どこで起用すればいいのかが分からない。ポリバレントという言葉はぴったりかもしれないが、一つのポジションの強みという部分では、常に2番手、3番手になってしまう。それが落選の理由であり、強みを出さないといけないという気持ちに変わっていきました」

 広島時代には2009年に9ゴールを奪取。2010年(4ゴール)にはJリーグベストイレブンに選ばれ、浦和でも12、13年に6ゴールを決めていた。ただ日本代表のハリルホジッチ前監督、浦和レッズのペトロヴィッチ元監督と出会い、「自分からボール奪に行く、積極的なディフェンスを前面に出していった。そこが次第に評価され、ハリルさんから『日本人にはないタイプだ』とまで言ってもらえるまでになれた」。

 槙野は今なおハリルホジッチ前監督への感謝を惜しまない。その理由が見えてくる。

「メンバーに選ばれるだけでなく、しっかりワールドカップのピッチで表現し、結果を残すこと。それが次の目標になる」

 コロンビアのハメス・ロドリゲスやファルカオ、ポーランドのレヴァンドフスキ、セネガルのマネ……彼らを対戦してみたい選手に挙げる。そんな最強のアタッカーと対峙する、槙野にとって最高の日々が始まる。

取材・文:塚越始
text by Hajime TSUKAKOSHI

Posted by 塚越始

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