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【鹿島】内田篤人が語った今は監督を目指さない深い理由「クビになるカウントダウン」

引退記者会見を行った鹿島の内田篤人。(C)KASHIMA ANTLERS

「二度とチームに戻って来られなくなるかもしれない」

 鹿島アントラーズの元日本代表DF内田篤人が8月24日、オンラインによる引退記者会見を行った。そのなかで今後について、多くのサッカー選手が目指す「指導者」「監督」について、内田は興味があるものの、この引退を決めたタイミングでは、すぐに触発される因子になっていないことを明かした。

 その理由はなぜか。

 内田と同学年である浦和レッズの槙野智章らは指導者ライセンスの取得を進めている。その講義を受講することで、選手として役立つメリットも数多くあるという。

 ただ32歳の元日本代表は、Jリーグクラブがレジェンド的なOBに対し、優先的に指導者S級ライセンスを取得させようとする“日本の一般的な流れ”に一石を投じるような考えを示した。

 引退記者会見で、内田も指導者ライセンスを取得しているようであれば、どのあたりまで進めているのか。可能であれば、教えてほしいという質問が出た。

 内田は「これまで色々と考えてきてはいましたが、何もやっていません」と明かし、その理由を語った。

「指導者は、本当に難しい職業だと思います。もしもアントラーズの監督をやることになって(契約に)サインをしたら、それがもうクビへのカウントダウン。二度とこのチームに戻って来られなくなるかもしれない。僕が在籍した間の監督を見ていても、そのように思ってしまいます。監督ではなくて、スタッフになれれば、ずっとチームに携わることができるかもしれません。そこが難しいなと」

 鹿島だけではない。シャルケでも数多くの名将が、時に理不尽に去っていった。内田がドイツを去る決断をした際、シャルケ時代から世話になったウニオン・ベルリンのイェンス・ケラー監督の解任が、結果的にトリガーになった。もちろん、内田自身も監督を男にできなかったことに対して責任を感じていたが。

「シャルケも毎年のように監督が交代して、代表でも素晴らしい監督に指導していただきましたが、この何週間かザーゴ監督を、選手の立場というより、監督としての立ち振る舞い、戦術や練習の組み立てを見ていました。鹿島を早く辞めることで、そのように監督のそばで勉強できなくなるのは一つ残念なことです」

 クラブとの話し合いを経て、「やってみるべきだ」と言われれば、指導者は目指すべきだという持論も口にしていた。

 つまり、鹿島のために力になりたい、ということを仕事の軸に考えると、必ずしも現時点では「指導者」「監督」がベストなのかは分からないということだ。

 もちろん、ピッチ脇で“第2の指揮官”のように振る舞っていた内田が監督を目指すと決めて、異論を挟む人はいないだろう。

 とはいえ、この新型コロナウイルスのパンデミックを経て、鹿島が立地的にも非常に難しい状況にあるのは事実。内田は鹿島のためにできる何かを探っていた。

 内田はこんなことも語っていた。

「32歳は社会的に見れば全然若いほうですが、30歳、40歳でメルカリの社長になられた小泉(文明)さん(現・鹿島社長)のように、すごく活躍されている方もいます。そういった方の知恵もいただきながら、この年で引退してチャレンジできることを考えていきたいです」

 そして「まだ一つ、二つに絞るのは早い。どこにでも行けるような仕事を選んでいきたいと思います」とも口にしていた。なるほど。であれば、将来的な鹿島の社長も!? 

注目記事:内田篤人が語った魂の引退メッセージ全文「鹿島が数多くのタイトルを獲った裏側で先輩方は勝つために選手生命を削ってきた。僕はその姿を今の後輩に見せられない。サッカー選手として終わったと考えるようになった」

[取材・文:塚越始]

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