【インタビュー】山東泰山でタイトル3つ獲得、黒崎久志氏がヘッドコーチを担った2年間を語る。ゼロコロナ政策、バブル崩壊…中国サッカー界“現場目線”から見た現在地とは?
2022シーズンの中国FAカップを制し、山東泰山は3連覇。黒崎久志氏はヘッドコーチとして、2年間で3つのタイトルを獲得した。※黒崎氏提供
国の政策も大きく影響。スポーツ界全体が“保守的”、「『世界に出ていく』という方向に、サッカー界が向ききれずにいた」
中国超級(1部)リーグ山東泰山のヘッドコーチを2022シーズンまで2年間務め、3つのタイトルを獲得した黒崎久志氏がこのほどインタビューに応じてくれた。中国での2シーズンの戦いぶり、なかなか日本に伝わらずにいた中国サッカーの現状など語ってくれた。
現役時代は鹿島アントラーズ、京都サンガF.C.、ヴィッセル神戸、アルビレックス新潟、大宮アルディージャでストライカーとして数々のタイトルや記録を作った。そして日本代表としても24試合・4ゴールと活躍している。
引退後は新潟で監督を務め、また大宮や鹿島でコーチを担当。2018年には大岩剛監督とタッグを組み、鹿島でのACL(アジアチャンピオンズリーグ)制覇にも貢献した。
そして2021シーズン、ハオ・ウェイ監督に請われて中国1部の山東のヘッドコーチに就任。1年目はリーグ&FAカップの2冠を達成、2年目の2022シーズン、リーグ戦は優勝した武漢三鎮と同勝点ながら得失点差で2位に終わったが、FAカップ3連覇を果たした。
ゼロコロナ政策が実施されるなか中国で2年間戦い、現在はフリーとなっている。
厳しい環境下にあった中国で「3つのタイトル獲得」。黒崎氏がその日々について振り返る。
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――中国での2年間は、ちょうどコロナ禍のとても大変な時期でした。そのなか山東泰山で、試合までの練習をオーガナイズするヘッドコーチとして、3つのタイトルをもたらしました。
「ゼロコロナ対策の期間は、ホーム&アウェーで開催できず、セントラル方式でも試合が実施されました。それはそれで移動がなくなり、感染症のリスク対策はとれていました。ただ観客は動員できず、そのあたりの寂しさはありました」
――昨季リーグ優勝を果たしてACL出場権を得て、山東は浦和レッズとグループステージで同組でした。しかしユースなど若手主体のBチームで臨み、1分5敗と最下位で敗退しました。黒崎さんもチームに帯同していなかったので、トップ同士の日本勢との勝負は叶いませんでした。
「ACLのグループステージがタイでの集中開催になりました。中国から往復すると隔離期間が設定されているため、予定されていた4月の中国リーグ開幕と重なってしまい、そのような若手主体の編成になりました。ところが結局リーグ戦の再開時期が何度かずれて6月になり、『ACLにトップチームで行ったほうが良かったのではないか』という話にはなりました」
――むしろチーム力を試せる貴重な機会になったのかもしれないわけですね。
「そうです、状況的には挑戦できたわけです。ACLで日本のチームと戦うことが、中国に来た時の私の目標の一つでした。その現地に赴けなかったのは残念でした。山東は秋春制になる2023-24シーズンのACL出場権も得ています。そこで活躍してもらえたら、今までやってきたことの成果になるかなと、楽しみにしています」
――中国勢はここ3年間、ACLにそのようなBチームで臨んだり、ユースの選手が出場したりと存在感を示せずにいます。また恒大グループの不動産問題で、中国サッカーバブルが弾けました(旧・広州恒大は2部降格)。中国サッカーは大丈夫なのか? と。あのフッキらのいた時代を知っているだけに、日本では中国勢の現状に物足りなさを感じる声が多く聞かれます。
「まずオーガナイズのところで、断然に日本と違っています。ゲーム開催の段階から環境が整っていかないと選手も育っていけません。そこが日本との一番の差だと感じました。個々を見ると、いいタレント、能力の高い選手はたくさんいます。全体で連帯していけずにいるのは、もったいない印象を受けます」
――確かに以前ほど育成年代も、あまり中国勢の活躍が聞かれなくなりました。ガオ・リンなどが突き上げていった時代があり懐かしいです。
「それこそガオ・リンと世代の近い山東にいるゴールキーパーのワン・ダーレイはU-17中国代表時代に日本に勝ったという話をしていました。(コロナ禍などの影響で)『世界に出ていく』という方向に、サッカー界が向ききれずにいます。若手がなかなか起用されず、ベテランが重宝される傾向もありますね。ちょっとマインドが保守的になっています」
――そう言われますと、Jリーグも似た傾向は感じます。若手とベテランの力が近いと、「経験」のあるベテランが起用されがちに感じます。
「『結果』をより求めてしまうと、経験のある選手の起用が増えがちです。そのため、Jリーグではルヴァンカップに若手起用ルールがあるように、中国では若手の起用を義務化するU-23ルールがリーグ戦でも採用されています。よりチャンスを与えるためです」
――「GKは中国人選手でなければいけない」、サラリーキャップ制など、中国では意図の感じる独自ルールがいろいろあります。ただ、「組織」がなかなか機能していかないところに、課題があると?
「もちろん、それこそコロナの影響はありました。スケジュールも決まらないので、誰も動けない状況も続きました。ただ一度決定すると、短期間で一気に多少の不備はあっても実行していきました。インフラはだいぶ整い、いい施設、周辺のホテルも整備されてきています。支えて運営していくためには、ソフト面が課題ですね」
――中国政府の意向や政策が国民生活にダイレクトに影響する体制下で、コロナやロシア・ウクライナ問題などもあり、「サッカーやスポーツが後回しになっていった」時期でもあったわけですね。
「もう、そこはしょうがないところではありました」
――コロナ禍を経て中国がワールドカップ(W杯)、あるいはクラブW杯誘致に動くなど、また一気にサッカー熱や投資など、ぐっと凄まじいエネルギーが向かうのでしょうね。
「国のコロナ政策もあり、ホスト国になっていたクラブ・ワールドカップも、アジアカップも開催されませんでした。次の波が来れば、ですね。ポテンシャルは間違いなくあるので、あとはやり方次第。次回ワールドカップは出場枠が増えるので、中国もこれまで以上には力を入れるはずです」
――そんななか、JFAの指導者派遣事業などと異なり、黒崎さんのように海外へ自ら売り込み“勝負する”。そういう指導者は貴重だと思います。
「その面では経験を積めてタイトルも獲得できて、とても充実した2年間でした。大変なことも多々ありましたが(笑)」
――中国超級リーグでは選手への給与未払いも話題になりました。黒崎さんのいた山東は問題なかったのでしょうか?
「はい、私のいた山東はしっかりしていて健全経営でした。18チーム中、問題がなかったのは3チームぐらいだと聞いています。広州は外国籍選手がいなくなり、2部に降格しました。また、選手入場後の整列の際、『給料をちゃんと払って』と横断幕を掲げているチームもあり、驚かされましたね。サッカーバブルが弾けた直後に自分は中国へ行き、結果、13年ぶりのリーグ優勝とFAカップ3連覇に貢献できました」
――大変だと感じた面とは?
「時期的に、一つの方向へ向かうのが難しい状況下でもありました。日本のように一致団結して取り組む、というところが、どうしても、自分、個人のところがまず優先的になりがちで、そこに難しさを感じました。もちろんそこに私が順応するのも大切でした。一方、団体スポーツの最も大切なところを、選手と指導者にも伝えてきました。そのあたりはチーム全体で変化が感じられ、何かしらは残せてきたのかなと感じています」
――まさに鹿島アントラーズの“イズム”ですね。クラブ・チームに携わる一人ひとりが「勝利」のために何ができるかを考えて動く。一人ひとりのあらゆるスタッフ、スカウトも。勝利のために自己犠牲もいとわないことも時に求められると。
「勝つためにどうしたらいいか。そこと常に向き合っていないと結果は出ません。自分はそのようにずっとやってきたので、染み付いているところがあるのだと思います」
――1年目と2年目での違いは?
「1年目は2冠を獲得できて、2年目は相手チームがウチを負かせるためにパワーを向けてきて、その挑戦を受ける立場になりました。どのように試合に向かっていくのか、メンタル面のコントロールの難しさは感じました。2年目のリーグ戦は得失点差で2位になったので……いやあ悔しかったです」
――黒崎さんの力を欲したハオ・ウェイ監督とは、いい関係を築けたそうですね。
「信頼を寄せてくれて、ゲームに向かう練習のところは全て任せてくれていました。その関係性は、本当に良かったです」
――結果を残したことで、黒崎さんが中国との橋渡し役にもなりました。最近のサッカー界では、日中のつながりがあまりありませんでした。
「そういう面では、サッカーを通して、ちょっとした架け橋になれればとも思っていました。結果を残せたので、本当に良かったです」
――日本から学ぼうという姿勢の人もいます?
「はい、たくさんいます。逆に、そう思っていない人もいます。カタール・ワールドカップ(W杯)の時は、日本を応援してくれていました。日本が勝った時、たくさんの人が喜んでくれていました」
――1シーズン目を終えたあとも、黒崎さんは「行ってよかった」とおっしゃられていました。
「得るものは本当にたくさんありました。勝負ではあったので、楽しかった、というのとはまた少し異なる気持ちですが。行って本当に良かったです」
――何度か取材で滞在した際、中国では必ず1日に1回は日本ではあり得ない身の回りの“小さな事件”が起きるので、常に気が抜けなかったことを覚えています。ただ、心に刻まれる光景や思い出もまた多かったです。2年間滞在されたなんて、もう本当に尊敬します。
「コロナ禍であったため、基本的に仕事場への行き来ばかりで、外出も制限されていました。言い換えると『守られている』状況で、危険なトラブルはなく、サッカーだけに本当に集中できました。もちろん、いろいろなところを訪れられなったのは残念でしたが」
――中国代表は、コーチを務めてきたアレクサンダル・ヤンコビッチ氏の監督昇格が決まりましたね。
「中国代表は、日本代表とも対戦した前回のカタール・ワールドカップ(W杯)最終予選など、その1、2か月前からリーグ戦を中断し長期間合宿することが多いです。拘束時間がとても長い。今回のW杯予選の結果を踏まえても、長期拘束は本当に意味があるのかな? と。普段リーグ戦で試合をして、そこでコンディションや調子のいい選手を招集していくことがより望ましいのではないかと思います。いい選手が多いので、本当に効率が良いのかは疑問に感じました」
――では、黒崎さんの今後は?
「以前ドイツで指導者としての研修をしたので、改めてドイツなど欧州の試合を現地で見て肌に触れたいと思っています。指導者としては、次第に年齢的に上のほうになってきましたが、同年代で一緒にプレーしていた森保が日本代表監督として頑張っているので、私もまだまだ触発されて、この中国で残した結果(3つのタイトル獲得)と、得た経験を生かして、やっていきたいと思っています」
[取材・文:塚越始]