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【現役引退】寡黙な司令塔、梶山陽平が珍しく強調した若手へのメッセージ

アルビレックス新潟でプレーする梶山陽平。写真:徳原隆元/(C)Takamoto TOKUHARA

北京五輪代表の10番。反町康治監督が「最もA代表に近い存在だった」と認めたタレント。

 FC東京からアルビレックス新潟に期限付き移籍中のMF梶山陽平が、今季限りでの現役引退を決断した。両クラブから14日に正式に発表された。FC東京の今季ホームラストゲームとなる11月24日の33節・川崎フロンターレ戦で、引退セレモニーが行われる。

 梶山は1985年9月24日生まれ、東京都江東区出身。J1通算267試合16得点、J2通算37試合6得点、J3通算13試合0得点。ギリシャスーパーリーグ8試合0得点。

 世代別の日本代表に常に選ばれ、反町康治監督の率いる2008年の北京五輪代表の司令塔を務めた。しかし、プロ入りしたときから膝にケガを抱えて戦い、「最も日本代表に近いと言われていたが……」(反町監督)、結局A代表に招集されることはなかった。

 2013年にはギリシャリーグでもプレー。その後は大分トリニータ、古巣のFC東京、そして今季途中からアルビレックス新潟に在籍。新潟では3試合に出場してチームのJ2残留のミッションを達成したものの、やはり膝の状態は思わしくなく、完全復活はならなかった。

 彼が2014年にパナシナイコスから日本に戻ったとき、「若い選手たちに伝えることがあれば?」といった話をした際、こんなことを言っていた。

「海外でプレーしたいならば、少しでも若いときのほうがいい。チャンスが来れば、早いほうがいい。それだけは間違いないです」

 彼にとっては、まず欧州でのプレーへの憧れが強かった。27歳でようやく実現させたものの、チームの軸にはなりきれなかった。それでも彼がギリシャで得たものは、途轍もなく多く、掛け替えのない経験になったと言う。

 もちろん、その言葉の奥には、戦力になれるか、なれないかという以上に、いろんな意味が込められているだろう。自信があれば海を渡れ――。その傾向は確かに強まっている感じはする。

  寡黙な司令塔が、珍しく強調していたその一言はとても印象に残っている。

取材・文:塚越始
text by Hajime TSUKAKOSHI

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