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95年1月17日始動。ヴィッセル神戸が「25周年特設サイト」公開

天皇杯決勝、円陣を組む神戸のイレブン。写真:早草紀子/(C)Noriko HAYAKUSA

小川慶治朗がメッセージ「震災から25年となる2020シーズンは、Jリーグタイトルを皆さんと一緒に獲りたい」。

 ヴィッセル神戸はチーム始動日から25年を迎えた2020年1月17日、「25周年特設サイト」を公開した( https://www.vissel-kobe.co.jp/special/25th/ )。神戸市出身の三木谷浩史会長や兵庫県三田市出身のFW小川慶治朗のメッセージ、これまでのクラブのヒストリーなどを特集している。

 そのなかで小川は、次のようにメッセージを届けている。

「1995年1月17日、僕は2歳でした。

 当時のことははっきりとは覚えていないのですが、両親などから阪神・淡路大震災のことはよく聞かされていました。

 小学校では道徳の授業などもあり、神戸の人にとって忘れてはならない、決して忘れることのできない日だと思います。

 ヴィッセル神戸に加入してからは毎年震災とヴィッセルの繋がりを映像で観せてもらってヴィッセルとはどういったチームかを毎年心に刻んでいました。

 ヴィッセル神戸は、復興のシンボルであり、その一員としてプレーできることの誇りや喜びを日々感じています。

 今年は元日を天皇杯優勝でスタートができ、サポーターの皆さんにタイトルを届けることができました。

 震災から25年となる2020シーズンは、Jリーグタイトルを皆さんと一緒に獲りたいです。

  FW 小川 慶治朗 」

 兵庫県からJリーグを目指して、ヴィッセル神戸が誕生。スチュワート・バクスター監督のもと、初練習の1月17日、阪神・淡路大震災が起こる。

 混沌とするなか、チームは岡山県倉敷市に場所を変更して始動を迎えた。そこからは練習場を転々とする「ジプシー生活」の日々が続いていった。

 そのなかでエース永島昭浩が10点を決めるなどJFL初年度は6位、天皇杯準々決勝進出を果たした。

 それから25年。東京オリンピックイヤーの元日に天皇杯優勝を達成。その先へ――神戸が挑む。

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[文:サカノワ編集グループ]

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