【浦和】流経大の宮本優太を獲得。目標は長友佑都、曺貴裁コーチから言われ自信になった「サイドバックでも勝負できるぞ」

流通経済大学が公式HPで、宮本優太の浦和加入と熱いメッセージを掲載。※写真はスクリーンショット

2年時には、ともにトレーニング。体幹練習は欠かさずチェック。サイドバックとボランチをハイレベルでこなす。

 J1リーグの浦和レッズは11月6日、流通経済大でプレーする宮本優太の2022シーズンの加入が内定したと発表した。またJFAの特別指定選手にも認められ、今季これから、浦和でのトップチームでの出場が可能になる。

 宮本優太は1999年12月15日生まれ、東京都出身、20歳。170センチ・70キロ。ボランチ、サイドバック、いずれのポジションも高いレベルでこなす。

 これまでのキャリアは、田柄フットボールクラブ ― NPO法人ワセダクラブForza’02 ― 流通経済大学付属柏高校 ― 流通経済大学。魅力はアップダウンを繰り返す強靭なフィジカルと体力を生かした守備力の強さで、強いメンタリティも併せ持ち、複数ポジションをこなす。

 宮本はクラブを通じて、次のようにコメントしている。

「2022シーズンから浦和レッズでプレーすることになりました、宮本優太です。小さい頃からの夢であるプロサッカー選手を浦和レッズという伝統のあるチームでスタートできることに感謝しています。今まで支えてもらった全ての人に結果で恩返しできるように。また、これから宮本のことを知っていただく人たちに応援される選手になれるよう、がんばっていきたいと思います。応援よろしくお願いします」

 一方、流通経済大の公式サイトでは、次のように4年間を振り返るメッセージを発信している。

「2022シーズンから浦和レッドダイヤモンズでプレーすることになりました宮本優太です。

 先日、アミノバイタルカップでチーム一丸となって最後まで諦めずに戦い、流通経済大学史上初となる優勝を飾ることができました。そんなこともあり、皆さんが今、流通経済大学を思い浮かべた時に『強い』や『曺コーチ』などの言葉が浮かぶと思います。今年やってきたことの結果がそういったイメージに繋がると思います。しかし、私が大学に入学して2年間は全くと言っていいほど結果が出ず、去年は関東大学リーグで1部から2部に降格してしまいました。

 私は流通経済大学付属柏高等学校から流通経済大学に進学してきました。高校3年生の時にはキャプテンを務め、インターハイで初の単独優勝をすることができ、選手権では準優勝という結果を残せました。3年生のインターハイ後、進路相談の機会に『プロの誘いはないですか?』と聞いた時『ない』という返事しかもらえませんでした。自分の中では『プロ』か『流経大』という考えしかなかったので『流経大に行って必ずプロになろう』という思いで流経大への進学を決めました。選手権が終わり高校選抜に入り海外遠征を経験でき、さらに優勝もできました。

 その後流経大に入学し1年生チームで夏前まで関東社会人リーグを戦い、アミノバイタルカップ前にトップチームに昇格できました。しかし、アミノバイタルカップは全国まであと一歩届かず、リーグ戦でも思うような結果を出せず、インカレ出場権を獲得できませんでした。

 2年目には全日本大学選抜に選んでもらうことができました。そこでものすごく『プロ』を遠くに感じました。当時のメンバーには旗手怜央選手(現・川崎フロンターレ)、紺野和也選手(現・FC東京)、金子拓郎選手(現・北海道コンサドーレ札幌)などJリーグで活躍している選手ばかりでした。ものすごく差を感じ不安になりましたが、その中でプレーしていた筑波大の角田涼太郎選手や山原怜音選手に追いつきたいという気持ちが大きくなりました。

 流経大としては結果が出ず全国大会には出場できず、リーグ戦では初の降格となってしまいました。

 3年生になり私はチームの副キャプテンを務めました。4年生がいるなかで副キャプテンを務めることは覚悟と度胸が必要です。シーズン開幕に向け、徐々に練習が厳しくなってきた時にトップチームの練習に曺コーチが合流しました。

 私は3年生ですが全日本大学選抜にボランチとして選んでいただいていました。しかし自チームではサイドバックを任されていました。正直自分は何で勝負していいのか分からず、このまま長所も出せず終わっていくのではないかと不安になる日々が続きました。

 そんな時に曺コーチに『どうしたい?』と聞かれ正直に全てを話しました。曺コーチからは『サイドバックでも勝負できるぞ』という言葉を頂きました。

 縦横無尽に走れる体力には自信があったので、自分の長所を生かすこと、サイドバックの技術的な所も身につけようと毎日練習をしました。

 2年生の時に長友佑都選手とトレーニングしたことがあり、大平コーチから『長友選手みたいになれ』と言われ続け、自分でも意識をしていました。長友選手がインスタグラムに体幹トレーニングをあげたらすぐに真似をしました。

 新型コロナウイルスのため、サッカー部としての活動が中止されている時もひたすら走り、ボールを蹴り、感覚が鈍らないようにトレーニングを欠かさず、また少しでもプラスになるように昔の試合もよく見ました。コロナが少し落ち着きリーグ戦に向け活動が再開し、リーグ戦では初戦から白星スタートでき、このまま右肩上がりで登っていくのかと思っていました。

 しかし上手くはいかず何度もミーティングをし、選手同士で話し合い、チームがまとまってきた時に天皇杯茨城県予選決勝で筑波大学に敗戦。正直その時はがっかり感や脱力感がありました。しかしアミノバイタルカップが始まる前からチームにまとまりが出始め『もう負けたくない』という気持ちが全員から伝わってきました。

 どんなに苦しい状況でも絶対に諦めず、全員で戦い1部相手でもめげずに戦い続けたことで、アミノバイタルカップで優勝できたのだと思います。自分にとっては1年生から出場していたので、三度目の正直でした。

 絶対に負けたくない気持ちもあり、自分の価値も上げようと臨んだ大会でもあったので、全国が決まった時は正直ホッとし、涙が止まりませんでした。

 大学に入学していくつ挫折を経験したか分かりませんが、その度に監督をはじめスタッフの皆さんの温かい言葉に助けられ、チームメイトにも何度も救われました。遠く離れたところから応援してくれている家族のためにも、これからもっと結果を残し恩返しできるように頑張っていきたいと思います。これからも応援よろしくお願いします」

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