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【浦和】GK塩田仁史、闘いがあり、仲間がいて。「40という年齢など関係なく努力していきたい」〔インタビュー完全版〕

浦和での練習で汗を流すGK塩田仁史。写真:徳原隆元/(C)Takamoto TOKUHARA

最年長での“驚き”の加入。リカから「柱の一つ」と評価される守り神はレッズに何を求められ、どのように応えようとしているのか。

 3月15日と16日に掲載した、浦和レッズのGK塩田仁史のインタビュー完全版をお届けする。

 2021シーズン、栃木SCから浦和レッズに完全移籍で加わった塩田は、阿部勇樹とともに今年40歳を迎える1981年生まれで、チーム最年長となる。そのベテランの獲得は大きな驚きをもたらし、同時に浦和が彼に、これまでなかった力を求めていることも伝わってきた。

 そんな頼もしき守り神は、今季就任した指揮官にとって、どのような存在になっているのか。リカルド・ロドリゲス監督は次のように語っている。

「たくさんの良いものをもたらしてくれます。トレーニングでは常に100パーセントで取り組んでいる選手です。それがGK全員の良い刺激になっています。(鈴木)彩艶もシュウ(西川周作)も気を抜けない環境ができています。​彼の経験がチームに一体感をもたらす効果もあります。チームを盛り上げ、試合に出ていない選手たちも彼から良い刺激をもらっていると思います。非常にプロフェッショナルで、チームの柱の一つです」

 指揮官は新体制で戦う浦和の「柱の一つ」と表現した。 

 プロ18年目を迎える塩田が浦和での決意、リカルド・ロドリゲス監督、さらには阿部勇樹や流通経済大について、様々なテーマについて語ってくれた。

◇  ◇  ◇

――ルヴァンカップ・グループステージ1節の湘南ベルマーレ戦、まずベンチ入りをしました。

「試合を感じられたところで、まず良かったと言いますか、ゲームに向けたセッティング、タイムスケジュール、キャラクターや雰囲気、改めてチームによっていろいろ違うんだなと実感しました」

――試合中、塩田選手のベンチからピッチへの声はスタンドまで届くほどでした。

「レッズは勝たなくてはいけない、Jリーグのトップに行かなければいけないクラブで、その試合では5人がトップチームでのデビューを果たしましたが、そうしたなかで勝っていく雰囲気を作りたいと思いました。それは俺だけでなく、例えば試合に出ていなかったウガ(宇賀神)や、途中出場した(杉本)健勇も、タク(岩波拓也)も、みんなで声を出す雰囲気がチームにあり、そこに自分も乗っかっていっただけです」

――試合はスコアレスドローに終わりました。

「改めて、浦和というクラブの規模の大きさを感じました。ドレッシングルームから最後に出て行く時、すごい数のスタッフが迎えてくれました。この約30人の選手のために、これだけの大人が関わっていると気付かされました。ある意味、戦士じゃないけれど、27人がいいパフォーマンスを見せて、勝利しなければいけないと、気持ちが引き締まりました」

――栃木SCから浦和レッズへ。今年40歳になる塩田選手の移籍は異例であり驚きました。

「湘南の(齋藤誠一)GKコーチからも『いや、ビックリしたよ』と声を掛けられました。いろんな人にビックリされた移籍になりました。何を評価されたのかは、自分なりには感じています。ただ新加入選手の記者会見の時にも言いましたが、引っ張っていくというのは、あまりなくて。このクラブのピースの一つとして(必要)だったのではないかなと思っています」

――移籍の経緯を、可能な範囲で教えてください。

「うーん。どうだったのでしょう……。周作がいて、彩艶がいて、その難しい立ち位置になることを含めての選択だったのかなと。あと昨年骨折はしましたが、これまでの18年間、肉離れなど筋肉系の故障で離脱したことは一度もありません。そこは自分のストロングなところで、ケガには強い。そのあたりのデータも見てくれていたと思います。過去に、病気はありましたけれどね(笑)」

――FC東京で塩田選手が加入した2004年から2012年まで指導を受けた、浜野征哉GKコーチの存在も大きかったのでしょうか。

「浜さんもそうですが、まず土田尚史さん(スポーツダイレクター)の存在がありました。大宮にいた時からよく知っていて、プロになった17年前からも土田さんは知ってくれていたそうです。土田さんがいろいろな面で、人間的なところを含め、バランスを考え評価してくれたようです。そこで彩艶よりも、さらには周作よりも(年齢で)上で、という選択してくれたと感じています」

――浦和の『GKチーム』としてのバランスが重視されたと。

「もちろん監督が変わるなか、浜さんとは長くやっていた期間があり、キャラクターや練習の感じも分かり、そこもあっての選択でした。浜さんが、レッズに来る理由の一つになったのも間違いありません」

――湘南戦では18歳の鈴木彩艶選手が、トップチーム合流3年目にして公式戦デビューを果たし、好守を見せ無失点に貢献しました。

「レッズでプレーした榎本哲也とも仲が良く、彩艶のことは聞いていました。実際に一緒にやってみて、いろんな選手を見てきた中でも、18歳にしてポテンシャルが高く、将来性を感じます。何より努力家で、地に足がついています。湘南戦も地に足をつけたうえで臆することなく思い切りやれていて、とても良かったと思います」

――コーチングの質を、鈴木選手は課題に挙げていました。

「コーチングは、試合を積み重ねて、いろんな場数を踏むことで、短い言葉で伝える言葉のチョイスの仕方など自分なりに見えてくると思います。それはまだ難しいかもしれないけれど、今後自分で考えて、一歩ずつ進んで行けます。俺から、ああだ、こうだとは言わないようにしています。彼がこれは必要かな、必要じゃないかなとチョイスして成長していけばいい。もしも、立ち止まるようなことがあれば、自分の経験のなかでのアドバイスはしたいです」

――現在のJリーガーの中で、流通経済大からプロに進んだ、最年長の塩田選手から、宇賀神友弥選手、武藤雄樹選手、そして今季加入した伊藤敦樹選手、さらには来季の加入が内定している在校中の3年生(2021年度に4年)の宮本優太選手(特別指定)まで、あらゆる世代の流経大を代表する選手が浦和に集結したと言えます。その構成も今季の特徴の一つに挙げられます。※宮本と同期MF安居海渡の2022年度加入も3月15日に内定した。

「レッズのマネージャーの関(敏浩さん)は同級生です。レッズに評価してくれるのは有難いです。宮本も早々に決まっていて。荒くれ者の中で、みんな揉まれてきましたから(笑)。大学4年間、いろんなことを学び、耐える力は強いと思います。それぞれのクラブや地域で王様だったたくさんの選手が夢を持って来て、そこで競争があります。いろんな性格やタイプの選手がいて、そこで経験することはとても大きかった。いろんなことを見て、感じて、正面から向き合い、そうやってきて、今ここでみんなと会えて。それは嬉しい限りです」

――同じ1981年生まれである阿部勇樹選手が塩田選手の加入について、同い年の選手がこのタイミングで来てくれて、まさかと思う一方で嬉しかったと言っていました。ただ始動直後は塩田選手について、「ちょっと気を遣っているんじゃないかな」と漏らしていましたよ。

「そりゃそうですよ。同い年とはいえ、歩んできた道は天と地ほど違いますから。イングランドでプレーして、日本代表でワールドカップを戦っている。同い年と言っても、同い年ではないような、そんな経歴ですし、俺はちょっと遠慮していました。各世代の代表にも入っていないし、雲の上の存在です。最初はちょっと手探りでした。でも今はだいぶ大丈夫ですよ、アベちゃんと言えるようになりましたから(笑)」

――リカルド・ロドリゲス監督と話すことは?

「ディフェンスのことに関して、話すことはあります。俺自身が『これは本当に危ないな』と思った部分についてだけ伝えています。リカはすごくいい監督です。ポジショニングや展開など、とても細かい部分まで気付きます。そこで戦術的に選手がやりやすいように、アテンドしてくれます」

――プロ18年間、数々の監督のもとでプレーしてきましたが、リカルド監督はどのようなタイプですか?

「自分のサッカー観に一番近い人かなと感じています。リアクションとか、ポジショナルとかに偏らず、監督は柔軟だと思います。もちろん骨幹となるサッカーがありますが、固執しすぎていないと言いますか、ゴールを取る、守る、勝つところからまず考えています。だから言っていることは、納得させられることが多いです。ミーティングでも、確かにそうだな、とよく心の中で頷いています」

――塩田選手といえば、戦術理解度の高さも特長の一つです。昨年プレーした栃木SCの田坂和昭監督は塩田選手について、「ピッチ上で具体的戦術を伝えられる。ベンチから声を出す以上の力を、チームにもたらしてくれる」と評価していました。

「田坂監督からそのように言っていただけるのは嬉しいです。ゲーム中も、練習中も、展開は目まぐるしく変わっていきます。1秒、2秒、3秒ほどの間で、一個ならいいけれど、二個、三個と気になることが場面によって出てきます。そこからまず一つ特化して選び、伝えるように考えています。だから戦術理解は大切です。監督が三つほど目についているだろうなと感じても、そこで最もチョイスしたい一つを選手に話します。そこで三つまとめて言っても、なかなか伝わりませんから。一つ整理できれば、次へと。もちろんまた局面が変われば、選択も変わります。そこをサポートしなければいけない。ただ、リカは常にいろんなことに気付けていると感じます」

――塩田選手自身は浦和での2021年、どのようなシーズンにしたいですか。

「まず個人としては、長くいたFC東京を離れた時(2015年)、いろんな経験をしたいという思いがありました。幸せなことに、それから3クラブ目になりますが、いろんな人と出会い、いろんなサッカーを体験し、いろんな選手のキャラクターやプレーを見て、とても多くのことを学んできました。この1年、新しい監督、選手、チームで、いろんなところを感じて吸収したい。サッカー選手として、このクラブにタイトルをもたらせるように努力したいし、ただ何よりゲームに出たいです」

――塩田選手のピッチ上での浦和のユニフォーム姿が見たいです。

「純粋にゲームに出たい。その思いは絶対に持ち続けています。その相手が(西川)周作であっても、(鈴木)彩艶であっても、ゲームに出たい。シャーレやトロフィーを掲げたい。ただ、加入会見でも言いましたが、キーパーはグループであり、浜さん(浜野征哉GKコーチ)を含め、いい関係を築けないとチームとして進んで行きません。そうやって戦いながらも、いいグループを作っていきたい。それはフィールドの選手もそう。監督も言っていますが、規律を守り、しっかりとしたグループにならなければ、チャンピオンにはなれない。17年間、俺もそれは感じてきましたから、そこに貢献できるようにやっていきます」

――「タイトル」を獲れると、チームに関わってきたあらゆる人たちが、その1年を共有し、みんなで語り合えます。

「浦和はプレッシャーもあると思いますが、その中でプレーしなければいけない、結果を残さなければいけない。その自信がなければこの移籍もしていませんでした。その意味では、40という年齢など関係なく努力していきたいです。年齢で言われることは多いと思いますが、自分も進化できるし、(周りの環境や)相手も進化して、いろんなものをそれぞれの人が持っていて、チームとして戦っています。誰一人同じストーリーのサッカー人生を歩んできたわけではないから、たくさんのことを学べます」

――阿部選手も復活を遂げて、さらに塩田選手の出場も多くの人が楽しみにしています。

「次はゲームに出て、浦和というクラブを感じたいです。簡単なハードルではないかもしれません。今心掛けているのは、どんと構えること。この年齢で来たから周りからいろんな見方をされるかもしれませんが、チームのためにやるべきこともたくさんあります。試合に出た時、どのようなプレーをするかが一番大事。そのチョイスをするのはリカルドであり、浜さんだから、この環境の中で常に準備して、いいパフォーマンスを続けるように心掛けていきます。もちろん試合に出たい。そこで結果が求められるチームであることも分かっています」

――塩田選手の戦う姿を待っています!

「早くエンブレムが似合うように、頑張ります」

新体制発表会見でのGK塩田仁史。(C)URAWA REDS

プロフィール●塩田仁史 /SHIOTA Hitoshi  1981年5月28日生まれ、茨城県日立市出身、185センチ・78キロ。日立サッカー少年団 (日立市立田尻小学校) ― 日立市立滑川中学校 ― 水戸短期大学附属高校 ― 流通経済大学(4年時:横浜F・マリノスに特別指定) ― FC東京 ― 大宮アルディージャ ― 栃木SC ― 浦和レッズ。2004年からプロ通算18年目。通算成績はJ1リーグ91試合、J2リーグ50試合、ルヴァンカップ51試合、天皇杯32試合、公式戦通算224試合出場。

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[取材・文:塚越始]

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