【ファインダー越しの世界】ジーコのもと実現した日本版黄金カルテット。中田英寿、中村俊輔、小野伸二、稲本潤一…心躍った90分間
ジーコジャパン初戦、中田英寿(写真)、中村俊輔、小野伸二、稲本潤一、日本版黄金カルテットが実現。写真:徳原隆元/(C)Takamoto TOKUHARA
1982年の本家セレソンと役割までも類似。
日韓ワールドカップの熱狂から1か月が経った2002年7月22日、日本代表の新監督就任記者会見の場にその男は期待を持って迎えられた。4年後のドイツ大会でのさらなる高みを目指し、日本はブラジルサッカー史にその名を燦然と輝かせる人物を新たな先導者に指名した。
その人物は日本サッカーを知り尽くし、勝利への飽くなき追及とそれを実現させるための情熱を秘めていた。アルトゥール・アントゥネス・コインブラ。通称ジーコとして人々に知れ渡るブラジル人はこの日、日本代表監督へ正式に就任したのだった。
就任記者会見から3か月後の10月16日、ジーコに率いられた日本代表は初戦を国立競技場で迎えた。注目はなんと言っても中盤。初采配を揮うジーコは、満を持して前任者のフィリップ・トルシエがワールドカップの舞台で実現させることができなかった、“黄金の4人”をピッチへと送り出す。
ジーコは現役時代に自らが中心選手としてプレーした、歴代のセレソンのなかでも傑作のひとつとして人々の記憶に刻まれているチームを、自らが指揮するチームに重ね合わせ、その夢の集合体の再現を試みた。偉大なカナリア色のユニフォームの10番を背負った経験を持つ元クラッキ(名手)は、観る者を魅了する芸術的なサッカーを迷うことなく好み、指導者となってからもその実現への追及に熱中することになる。
奇しくも1982年ワールドカップイタリア大会で輝きを放ったブラジル黄金のカルテットと、ジーコが選び抜いた日本の中盤を形作る4枚のカードは、20年の時を経て合致することになる。
ゲームメイクを担いエースナンバー「10」を背負ったジーコとは、そのジーコによって日韓大会メンバー落選を経て代表にカムバックした中村俊輔が符合する。両者はフリーキックのスペシャリストでもある。
黄金のカルテットのなかでいち早くヨーロッパへと渡り、ブラジル的テクニックに加え欧州的体力をも兼ね備えていたオールラウンダーのパウロ・ロベルト・ファルカンは、ゲームの流れを巧みに読み、展開力に優れた小野伸二と類似する。
チームの精神的支柱のキャプテン・ソクラテスは言うまでもなく、攻守をリードする絶対的な存在の中田英寿。ジーコのチームでは中田英寿も新キャプテンに抜擢された。
そして華やかな3人を後方から支えるボランチのトニーニョ・セレーゾはファイターの稲本潤一に重ね合わせられる。
ジーコが戦ってきた時代のブラジル人の多くは、なにより代表(セレソン)では能力の高い選手が順に選ばれ、その選手たちを起用するべきだと信じていた。独自の戦術のなかでバランスを重視した前任者と異なり、能力の高い4人を中盤で同時起用したことは十分に頷けた。そして構成するうえでの重要なファクターを、この才能あるカルテットに求めたことも、彼がセレソンの一員としてプレーした時のチーム構成から言って必然の選択だった。
日本はプロサッカーリーグ誕生から10年を経て、世界のリーグで活躍する選手が次々と誕生していた。確実にレベルアップを遂げるなか、世界を相手に個人技術を前面に出した戦い方で臨むジーコのドラスティックな方針に、人々は日本サッカーに新たな未来を思い描いた。ジーコは世界と真っ向勝負する道を選んだのだ。
迎えた試合。スタジアムを包むサポーターの熱気は圧倒的。弾けた人々の熱き思いは選手たちへと伝播され、イレブンはピッチ上で躍動した。
7分、中田-高原直泰と繋ぎ、そのスルーパスを小野が左足でシュート。日本が先制ゴールをマークする。相手のジャマイカの低いモチベーション(あるいは雰囲気に圧倒されていたのか)に助けられた部分はあるが、中盤の4人は高いレベルで共鳴し合い次々とスピードに乗った攻撃を生み出していった。
いま振り返ってみても、この試合は日本代表戦においてファインダーのなかに捉えた選手たちの豪華さに誘われ、もっとも心が躍った90分だったと言える。
結果は残念ながら終盤になって追い付かれ1-1で終了することになる。
のちに選手の個人能力に依存したスタイル、ヨーロッパからの長い移動時間を伴う調整の難しさ、ハードな日程、それでも重用された海外組、そして主力とサブ組の温度差など……。ジーコの戦い方は、勝利を目指すには必ずしも正しい選択だったかは疑問となっていく。
もちろん、この時の国立にはそうした懸念は一切なく、なにより晴れやかだった。
サッカーの永遠のテーマである「理想」と「現実」。その「理想」が過去にはなかった熱狂と興奮をもたらし、そして希望を生み出した。日本サッカーに期待が膨らんだ夜だった。
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[写真・文:徳原隆元]