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鳥栖MF松岡大起が清水に電撃移籍。「生きてきた中で一番悩んだ」勝手に涙が出てきたり、たくさんの口内炎ができたり…

鳥栖の松岡大起が清水に完全移籍。写真:早草紀子/(C)Noriko HAYAKUSA

約1200字でサガンファミリーへ別れのメッセージ。

 J1リーグの清水エスパルスは8月2日、サガン鳥栖の松岡大起(MATSUOKA Daiki)を完全移籍で獲得したと発表した。背番号は「33」。

 松岡は2001年6月1日生まれ、熊本県出身、20歳。170センチ・65キロ 。右利き。

 これまでのキャリアは、 ソレッソ熊本U-12 ― ソレッソ熊本U-15 ― サガン鳥栖U-18 ― 鳥栖 ― 清水。U-17・18・22日本代表、 U-19・20日本代表候補。

 今シーズンは J1リーグ21試合・0得点、ルヴァンカップ2試合・0得点、天皇杯2試合・0得点。通算成績はJ1リーグ76試合・0得点、 ルヴァンカップ7試合・0得点、天皇杯6試合・0得点。

 松岡は次のように清水のファンとサポーターに呼び掛けている。

 『こんにちは。 清水エスパルスのファン、 サポーターの皆様、 サガン鳥栖から来ました松岡大起です。 このタイミングでの加入になりましたが、 やってきたことや学んだことを自分らしく全力で表現します。 これから清水エスパルスのために戦います! また多くの方々に感動を与えます!応援よろしくお願いします!」

 一方、鳥栖のファンとサポーターに向けて、次のように長いメッセージに思いを込めて届けている。

「こんにちは。松岡大起です。

 いつも温かく、心強いご声援ありがとうございます。

 毎試合、選手一人ひとりの心の支えとなってい ます。急ではありますが、私、松岡大起は清水エスパルスに移籍することを報告させて頂きます。

 この移籍を考え、決断に至るまで、生きてきた中で一番悩みました。

 評価されているはずのポジティブな悩みなのに、毎日のルーティンをするなかで、勝手に涙が出てきたり、口の中にたくさん口内炎ができたり、寝ているはずなのに、寝た気がしなかったり、目を動かす度に眼球が痛くなったりもしました。

 正直、今のサガン鳥栖なら、リーグ優勝を狙い、ACLを目指せます。 シーズンが終わってからでも遅くは無いのでは? と何度も自分自身に問いかけました。

 しかし、海外で活躍するため、自分の夢を叶えるため、さらに自分自身を奮い立たせ、新たな環境でプレーしたいという強い想いが、常に頭の中にあり続けました。選手、監督、コーチングスタッフ、トレーナー、スポンサー、ファンサポーター、サガン鳥栖に関わる全ての皆様と共に、Jリーグ優勝やACLを目指したかった想いはすごく強いです。

 それでも自分自身の夢や目標を一番に考えた時、新たな環境で厳しいチャレンジをしたいという気持ちが抑えられず、今回の移籍の決断に至りました。

 今の自分があるのは、12年間もの長い間、成長を見守ってくれた「ソレッソ熊本」の皆様。そしてサッカー選手として、一人の人間として、ユースを合わせ5年間、大きく成長の機会を与えて頂いた、サガン鳥栖関係者の皆様へは感謝しかありません。

 そして、どんな時でもサポートしてくれ た両親にも感謝してます。本来であれば選手、スタッフ、トレーナー、ファンサポーター、自分の成長に関わって頂いた方、応援してくれてる全ての方に想いや御礼を一人ひとりに伝えたい所ですが、それは難しいので、この場を借りて伝えさせて頂きました。

 正直、この文を読んで頂き、気持ちを理解してもらいたいのですが、すべての方に理解してもらえないことも分かります。将来、この決断を理解して頂けるよう、1 人の人間として、行動、言動で示し、またプロサッカー選手として結果で表現していきます。

 チームは変わってもサガン鳥栖は自分自身の心の中にあります。 これから先もずっと、僕は変わらずサガン鳥栖が大好きです。 また、スタジアムで会いましょう。

 最後に明輝さんへ

 明輝さんが居たから、今の自分があります。 どんな時も明輝さんは常に声をかけてくれました。

 プレーがうまく行かず、悩んでいる時に声をかけてくださいました。

 プレーにおごりがあった時も強く声をかけてくださいました。

 どんな事も僕のためを思って言って頂いた言葉で、全てが僕にとって最高の思い出です。 明輝さんは僕にとって最高の監督です。また必ず、成長した姿で会いに行きます。

 本当にお世話になりました。

 ありがとうございました」

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[文:サカノワ編集グループ]

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