寡黙な最強ボランチ伊東輝悦がピッチで”笑った”「今はトライすることが大切」
沼津の伊東輝悦。(C)SAKANOWA
田中隼磨に挑んだ大卒ルーキーに「ナイスファイト!」と、大きな声でたたえる。
アスルクラロ沼津の伊東輝悦が笑った――。清水エスパルス時代のピッチ外での寡黙な姿を見ていたためか、こちらが勝手に先入観を抱いていたのかもしれない。常にポーカーフェイスなのだと思っていた今年44歳になる伊東が、ピッチ内では少年のような笑顔を浮かべ、若手を励ましていた。
2月7日の松本山雅FCとの練習試合(45分×3本)、2本目に登場した伊東はキャプテンマークを巻いて登場。中盤の底で試合をコントロールしながら周囲に指示を出し、主導権を握る時間を増やしていった。
そして、中央大から今季加入した新人の渥美瑛亮に「OK!」と笑って指で合図する。もうワンテンポ早くサイドへ展開できればなお一層良かったかもしれない、でもまず今のタイミングでいいぞ、と微笑みかける。
さらに沼津が攻勢に立った時間帯、ペナルティエリア内に侵入した伊東がバックパスを待つ。同じく駒沢大卒のルーキー熱川徳政がエンドラインぎりぎりまでドリブルで仕掛けて、折り返そうとしたが田中隼磨のブロックに阻まれ一歩届かず。そこで伊東は「ナイス、ファイト!」と大きな声をかける。熱川と目が合うと、もっと仕掛けろと言わんばかりに再び笑った。
清水時代、威圧しているわけではないのだが、さまざまなJリーグでの記録を打ち立て、日本代表にも選ばれ続けた伊東が練習場に現われるとピッチに緊張が走った。それまでパス回しをして遊んでいた若手の笑い声が止み、チーム全体が練習本番へとスイッチが切り替わった。誰もが一目を置き、J1で500試合出場を達成した不屈のボランチの背中から何かを感じ取っていた。
その特別な存在感は2シーズン目を迎える沼津でも漂う。「普段は寡黙ですが、ピッチではたくさん喋ってくれます。本当に一言ひとことがポジティブで、プラスになります」と、背番号10の青木翔太は語る。
決まり文句と言える、合いの手のような「声」とは異なる。本気の賛辞。日本のサッカーをリードしてきた男の「OK!」や「ナイスファイト!」の一言が、どれだけ手探り状態の若い選手に勇気を与えるだろう。一つの指針になり、その励ましから得る自信は計り知れない。同時に伊東も変わらず、サッカーを純粋に楽しんでいた。
昨季、伊東の出場は天皇杯での3試合に止まった。ただ沼津はJ3最多60ゴールを奪い、リーグ3位に入る躍進を遂げた。スタジアムやユースチームの整備などJ2クラブライセンスの条件を満たせずJ2昇格は果たせなかった。それでも新スタジアム建設への機運を高めたのは間違いない。
松本戦後、伊東は言った。
「特にこの時期、一番大切なのはトライすること。トライして修正点が見えて、改善できれば自信につながる。今は僕個人も、チーム全体でも、その意識を持って改善を積み重ねることが大切だと思っています」
一言ひとことに重みと説得力がある。この男が静かに力強くチームを支えている。ブラウブリッツ秋田が上位躍進を遂げたのも、この男がいた2016シーズンだった。そして今、沼津が強い理由のひとつが分かった気がした。
取材・文:塚越始
text by Hajime TSUKAKOSHI