【名古屋】丸山祐市がU-15の後輩と真剣トーク「中学時代、プロとは程遠い選手でした」
名古屋の丸山祐市。写真:徳原隆元/(C)Takamoto TOKUHARA
将来のグランパスのスターたちに、中学・高校年代で経験した「きれいな言い方をすれば挫折でした」という経験を赤裸々に語る。
J1リーグ名古屋グランパスのDF丸山祐市が5月26日、名古屋U-15(ジュニアユース)の選手たちとのオンラインによる特別ミーティングに臨んだ。日本代表にも選ばれるディフェンダーであり名古屋のキャプテンが、中学生年代の有望株からの質問に、まっすぐ向き合って答えた。
今回参加したアカデミー生は、U-15が18人、U-14が21人、U-13が17人の計56人。進路や練習メニューなど様々な話題に触れるなか、「丸山選手は中学の時、どのような選手でしたか?」という質問も。
すると丸山はFC東京U-15時代について、「もちろんユースに昇格することがトップに行ける一番の近道だと思っていましたが、実力がなく上がれませんでした。レギュラーとは言えず、3年間、ほとんど満足いくようにできた時期はありませんでした。周りはとても上手い選手が揃っていて、自分の実力不足だと受け止めていました。正直、プロには程遠い選手でした」と明かした。
ただ、その中学年代からサッカーノートを付けるようになり、どのような練習をして何ができて、何ができなかった。また、監督やコーチからの気になったり、ためになったりした言葉を忘れないようにメモを取り、それを読み返して、自分自身を客観的に見つめることを習慣化していったという。
また、國學院久我山高校を選んだ理由についても詳しく語った。
「(FC東京U-18に)昇格できなかったことと、(U-15時代は往復の時間も掛かったことから)できるだけ近いほうがいい、自転車で通えるところがいいという安易な考えもありました。また、僕の時代の久我山はそこまで強くなかったんですが、練習参加した際、攻撃的にしっかりボールをつないでゴールを目指すサッカーで、個人的に魅力を感じました。加えて勉強の部分も重要だと思っていたなか文武両道できることもあり、國學院久我山を選びました」
とはいえ、その高校時代も「2年の時に前十字靭帯を損傷し、ほぼ1年間プレーできなくなりました。当時はそれも運命なのだと受け止めました。だから、中学、高校と満足いくようにサッカーはできず、きれいな言い方をすれば挫折ですが、そこで、いろんな人の話を聞くこと、思うことを言葉にすることの重要さを知りました」と振り返った。
そして、この特別イベントのあとのメディア対応で、丸山はその高校時代にケガをしてサッカーができずにいた間、猛烈に勉強したと言っていた。「だから、今振り返れば、そのケガをして勉強をしていなければ、(プロに進むキッカケとなった)明治大に進むこともできなかったかもしれません」とも明かしていた。
進む道は人それぞれ。正解はない。丸山の謙虚なスタンスと強気なディフェンス――すべてがつながって『今』に至る。今回も、丸山は子供たちの言葉にしっかり耳を傾け、むしろ、彼自身も気付きを得る機会になったと語っていた。
丸山は名古屋U-15の選手たちに対し、「みんなグランパスのエンブレムに責任と誇りを持ってプレーしてくれていると思います。みんなが同じグランパスファミリーとして、これから各々プレーする環境や場所は異なるかもしれませんが、名古屋グランパスを好きだという気持ちは一緒だと思うので、同じ方向を向いて頑張っていきましょう!」と呼び掛けた。
また、 名古屋U-15のキャプテンである鈴木陽人は「僕たちと同じ中学年代の時には、『あまり試合に出ることができず、あまりチャンスが回ってこない感じだった』と話されていましたが、それが努力を重ね日本代表やトップ選手へ這い上がっていった話は、とても印象に残りましたし勇気づけられました。僕も焦らず日々の努力を積重ねて近い将来、丸山選手と同じピッチでサッカーしたいと思いました。 また、僕は普段ミッドフィルダーをやることが多いですが、センターバックをされている時に考えていることや思いを聞いて、改めて試合や練習時には自分の事だけを考えるのではなく、他のポジションの身になって声掛けやプレーを意識していきたと思いました。本日は、本当にありがとうございました」と感謝していた。
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[取材・文:塚越 始]