新人時代の本山雅志も緊張…鹿島がジーコ招聘を重視した理由とは?
県立カシマサッカースタジアムに建立されている「ジーコ像」。(C)SAKANOWA
選手の精神面の充実とクラブの結束のために。
ワールドカップ・ロシア大会の中断期間を経て、J1リーグが再開した。アンドレス・イニエスタやフェルナンド・トーレスといった大物外国人を獲得したり、大久保嘉人のような経験値の豊かな日本人選手を補強したり、各チームが巻き返しに向けて戦力の充実を図っている。
そうしたなかで鹿島アントラーズは他のクラブとは異なる興味深いモーションを起こした。
ジーコのテクニカルディレクターへの就任だ。1998年から02年までその職に就いて以来の鹿島復帰である。この一報を聞き、鹿島のスタッフから聞いたある話を思い出した。
それは本山雅志(現・ギラヴァンツ北九州)が新人だった98年のエピソードだ。詳しい状況は聞けなかったが、全体練習のあとにスタッフを交えたゲームを行ったときのことだった。その場にジーコもいた。
改めて説明するまでもなく本山は、ジーコの付けていたエースナンバー「10」を継承し、その後、鹿島の一時代を築くことになる。だが、若い頃の本山は、ジーコを前にしたそのゲームでさえ、まったくと言っていいほど思うようにプレーができなかったという。ジーコも彼(本山)が期待のテクニシャンなのか? と疑うほど、本山は緊張のあまり、自慢のプレーを見せられなかった。それほどジーコの存在が絶対的で、あまりにも大きかった。
1991年から94年まで在籍し、強豪・鹿島の礎を作り上げたジーコは、あとに続く選手たちのカリスマであり、結束へのまさに旗印だ。
今季の鹿島はACLで決勝トーナメント進出を果たしたとはいえ、Jリーグ前半戦では思うような成績を残せなかった。さらにCB植田直通がベルギーのセルクル・プルージュKSVへ、FWペドロ・ジュニオールが中国2部の武漢卓爾職業足球倶楽部に移籍。他クラブが積極的に新戦力を獲得するなか、鹿島の戦力ダウンは否めないかと思われた。
それでも18日の対ジュビロ磐田戦では、主力の移籍による戦力低下を感じさせない戦いぶりを見せた。CBで先発した20歳の町田浩樹は堂々としたプレーを見せ、2-3とリードを許した展開から、終了間際の88分に土居聖真がゴールをマークし、敗戦濃厚の試合を引き分けに持ち込んだ。さらに22日のホームでの柏レイソル戦、昌子源が先発復帰すると6-2の大勝を収めた。
選手個々の能力は高い。チーム上昇のために必要なのは、彼らの精神面の充実とクラブの結束力だとフロントは判断し、ジーコを招聘したのだろう。
16年ぶりに鹿島の一員となったジーコ。65歳という年齢ながら、「クラブのために全身全霊を懸ける」と覚悟を示す。勝者のメンタリティを持つ鹿島の象徴がチームに帯同することで、どのような変化が生じるのか注目だ。
文:徳原隆元
text by Takamoto TOKUHARA