【クラブW杯】内田篤人がユニフォーム交換した相手は元ニュルンベルガー
鹿島の内田篤人。(C)SAKANOWA
第1戦以来の先発を果たすも、リーベルに完敗を喫する。
[クラブW杯 3位決定戦] 鹿島 0-4 リーベル/2018年12月22日/ザイード・スポーツ・シティ(UAE)
クラブワールドカップ(W杯)3位決定戦、鹿島アントラーズがリーベル・プレートに0-4で敗れ、この大会を4位で終えた。
右サイドバックで第1戦のグアダラハラ(メキシコ)戦(〇3-2)以来の先発出場を果たした内田は76分までプレーして、小笠原満男と交代。リーベルの重圧に抗い反撃の糸口を見出そうと試みたが、なかなかチャンスまで導けなかった。
内田は試合後、次のように振り返った。
「(鹿島は)中2日、向こうは中3日、そういったことを加味したゲームプランを持って入りましたが、セットプレーひとつで点を取られてからは、プランが少しずつこちらに傾かなくなっていったと思います」
内田自身初めて臨んだクラブワールドカップ。メキシコのグアダラハラには3-2の逆転勝利を収めたが、欧州代表のレアル・マドリー(●1-3)、南米代表のリーベル・プレート(●0-4)にはまざまざと力の差を見せつけられた。
「良いチーム、良い環境の揃う大きな大会で、これが悔しさと言うのか……差はあるなと実感しましたし、そういうところを一人ひとりが自覚して、日本に戻ってまたレベルアップしないといけない。ドバイまで足を運んでくださったサポーターの方、日本でTVで応援してくれている人、Jリーグを代表して、こういう結果になったのは非常に残念ですし、また日本のサッカーのため、鹿島アントラーズというチームのため、働きたいと思います」
さりげなく、来季――Jリーグ復帰2年目も、もちろん鹿島で戦うことを宣言した。
試合後、彼がユニフォーム交換した相手は、22番の元アルゼンチン代表のハビエル・ピノラだった。内田のサイドを締めていた35歳のセンターバックだ。
1FC.ニュルンベルクで2005年から2015年までプレーし、当時は左サイドバックを主戦場としていた。2010年からシャルケ04でプレーしていた内田と同サイドで対峙したことが何度もあった。
打ちひしがれるような二つの敗戦でシーズンを終えた。ただ、サッカーを続けていると、こうして国やリーグは異なれど”同志”との思いがけない再会も起こり得ることを示した。
内田の来季への挑戦が、この今年最後に喫したキツい1敗と、アルゼンチンの雄を支える大ベテランDFとのユニフォーム交換から始まる。
文:サカノワ編集グループ