【浦和インタビュー】塩田仁史が語る“ビックリされた移籍”、レッズを実感した湘南戦後の風景。リカルド監督からは「チームの柱の一つ」と評価 #1
浦和の塩田仁史。写真:徳原隆元/(C)Takamoto TOKUHARA
18年間、筋肉系の故障なし。「そこは自分のストロングなところ」
今年40歳になるGK塩田仁史が2021シーズン、栃木SCから浦和レッズに完全移籍で加わった。阿部勇樹とともにチーム最年長となる選手の抜擢は、大きな驚きをもたらした。同時にクラブが彼に、これまでなかった力を求めていると伝わってくる獲得でもあった。
そんな頼もしき守り神は、今季就任した指揮官にとって、どのような存在になっているのか。リカルド・ロドリゲス監督は次のように語っている。
「たくさんの良いものをもたらしてくれます。トレーニングでは常に100パーセントで取り組んでいる選手です。それがGK全員の良い刺激になっています。(鈴木)彩艶もシュウ(西川周作)も気を抜けない環境ができています。彼の経験がチームに一体感をもたらす効果もあります。チームを盛り上げ、試合に出ていない選手たちも彼から良い刺激をもらっていると思います。非常にプロフェッショナルで、チームの柱の一つです」
指揮官は新体制で戦う浦和の「柱の一つ」と表現した。
プロ18年目を迎える塩田が浦和での決意、リカルド・ロドリゲス監督、さらには阿部勇樹や流通経済大について、様々なテーマについて語ってくれた。前後編に分けてお届けする。
◇ ◇ ◇
――3月2日のアウェーでのルヴァンカップ・グループステージ1節の湘南ベルマーレ戦、まずベンチ入りをしました。
「試合を感じられたところで、まず良かったと言いますか、ゲームに向けたセッティング、タイムスケジュール、キャラクターや雰囲気、改めてチームによっていろいろ違うんだなと実感しました」
――試合中、塩田選手のベンチからピッチへの声はスタンドまで届くほどでした。
「レッズは勝たなくてはいけない、Jリーグのトップに行かなければいけないクラブで、その試合では5人がトップチームでのデビューを果たしましたが、そうしたなかで勝っていく雰囲気を作りたいと思いました。それは俺だけでなく、例えば試合に出ていなかったウガ(宇賀神)や、途中出場した(杉本)健勇も、タク(岩波拓也)も、みんなで声を出す雰囲気がチームにあり、そこに自分も乗っかっていっただけです」
――試合はスコアレスドローに終わりました。
「改めて、浦和というクラブの規模の大きさを感じました。ドレッシングルームから最後に出て行く時、すごい数のスタッフが迎えてくれました。この約30人の選手のために、これだけの大人が関わっていると気付かされました。ある意味、戦士じゃないけれど、27人がいいパフォーマンスを見せて、勝利しなければいけないと、気持ちが引き締まりました」
――栃木SCから浦和レッズへ。今年40歳になる塩田選手の移籍は異例であり驚きました。
「湘南の(齋藤誠一)GKコーチからも『いや、ビックリしたよ』と声を掛けられました。いろんな人にビックリされた移籍になりました。何を評価されたのかは、自分なりには感じています。ただ新加入選手の記者会見の時にも言いましたが、引っ張っていくというのは、あまりなくて。このクラブのピースの一つとして(必要)だったのではないかなと思っています」
――移籍の経緯を、可能な範囲で教えてください。
「うーん。どうだったのでしょう……。周作がいて、彩艶がいて、その難しい立ち位置になることを含めての選択だったのかなと。あと昨年骨折はしましたが、これまでの18年間、肉離れなど筋肉系の故障で離脱したことは一度もありません。そこは自分のストロングなところで、ケガには強い。そのあたりのデータも見てくれていたと思います。過去に、病気はありましたけれどね(笑)」
――FC東京で塩田選手が加入した2004年から2012年まで指導を受けた、浜野征哉GKコーチの存在も大きかったのでしょうか。
「浜さんもそうですが、まず土田尚史さん(スポーツダイレクター)の存在がありました。大宮にいた時からよく知っていて、プロになった17年前からも土田さんは知ってくれていたそうです。土田さんがいろいろな面で、人間的なところを含め、バランスを考え評価してくれたようです。そこで彩艶よりも、さらには周作よりも(年齢で)上で、という選択してくれたと感じています」
――浦和の『GKチーム』としてのバランスが重視されたと。
「もちろん監督が変わるなか、浜さんとは長くやっていた期間があり、キャラクターや練習の感じも分かり、そこもあっての選択でした。浜さんが、レッズに来る理由の一つになったのも間違いありません」
――湘南戦では18歳の鈴木彩艶選手が、トップチーム合流3年目にして公式戦デビューを果たし、好守を見せ無失点に貢献しました。
「レッズでプレーした榎本哲也とも仲が良く、彩艶のことは聞いていました。実際に一緒にやってみて、いろんな選手を見てきた中でも、18歳にしてポテンシャルが高く、将来性を感じます。何より努力家で、地に足がついています。湘南戦も地に足をつけたうえで臆することなく思い切りやれていて、とても良かったと思います」
――コーチングの質を、鈴木選手は課題に挙げていました。
「コーチングは、試合を積み重ねて、いろんな場数を踏むことで、短い言葉で伝える言葉のチョイスの仕方など自分なりに見えてくると思います。それはまだ難しいかもしれないけれど、今後自分で考えて、一歩ずつ進んで行けます。俺から、ああだ、こうだとは言わないようにしています。彼がこれは必要かな、必要じゃないかなとチョイスして成長していけばいい。もしも、立ち止まるようなことがあれば、自分の経験のなかでのアドバイスはしたいです」
――現在のJリーガーの中で、流通経済大からプロに進んだ、最年長の塩田選手から、宇賀神友弥選手、武藤雄樹選手、そして今季加入した伊藤敦樹選手、さらには来季の加入が内定している在校中の3年生(2021年度に4年)の宮本優太選手(特別指定)まで、あらゆる世代の流経大を代表する選手が浦和に集結したと言えます。その構成も今季の特徴の一つに挙げられます。※宮本と同期MF安居海渡の2022年度加入も3月15日に内定した。
「レッズのマネージャーの関(敏浩さん)は同級生です。レッズに評価してくれるのは有難いです。宮本も早々に決まっていて。荒くれ者の中で、みんな揉まれてきましたから(笑)。大学4年間、いろんなことを学び、耐える力は強いと思います。それぞれのクラブや地域で王様だったたくさんの選手が夢を持って来て、そこで競争があります。いろんな性格やタイプの選手がいて、そこで経験することはとても大きかった。いろんなことを見て、感じて、正面から向き合い、そうやってきて、今ここでみんなと会えて。それは嬉しい限りです」
――同じ1981年生まれである阿部勇樹選手が塩田選手の加入について、同い年の選手がこのタイミングで来てくれて、まさかと思う一方で嬉しかったと言っていました。ただ始動直後は塩田選手について、「ちょっと気を遣っているんじゃないかな」と漏らしていましたよ。
「そりゃそうですよ。同い年とはいえ、歩んできた道は天と地ほど違いますから――(後編に続く)」
※後編は3月16日(火)夕方にアップ予定です。
プロフィール●塩田仁史 /SHIOTA Hitoshi 1981年5月28日生まれ、茨城県日立市出身、185センチ・78キロ。日立サッカー少年団 (日立市立田尻小学校) ― 日立市立滑川中学校 ― 水戸短期大学附属高校 ― 流通経済大学(4年時:横浜F・マリノスに特別指定) ― FC東京 ― 大宮アルディージャ ― 栃木SC ― 浦和レッズ。2004年からプロ通算18年目。通算成績はJ1リーグ91試合、J2リーグ50試合、ルヴァンカップ51試合、天皇杯32試合、公式戦通算224試合出場。
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[取材・文:塚越始]