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【金メダリストの声 #1】堀米雄斗「地元の小松川公園は思い出の場所。みんなとスケボーをしたい」(スケートボード/男子ストリート)│東京オリンピック

スケートボード/男子ストリートで金メダルを獲得した堀米雄斗。(Photo by Ezra Shaw/Getty Images)

憧れの存在は、あの元メジャーリーガー。

 サカノワでは東京オリンピック期間、特別に東京オリンピック・パラリンピック大会組織委員会が主催する日本代表選手団の金メダリスト記者会見の模様をお伝えする。この2週間、サッカーの輪を、スポーツの輪へ広げて――。

 第1回目はスケートボード/男子ストリートで優勝した堀米雄斗が登壇。新競技での金メダル獲得という偉業を成し遂げた22歳の若者は、スケボーの魅力を発信するとともに、故郷・江東区への感謝の思いを口にした。

――金メダルを獲得し、一夜明けての心境をお願いします。

「皆さん応援ありがとうございました。地元・江東区で開催されたオリンピックの舞台に立てたことが嬉しかったです。そこで金メダルを獲れたなんて、今でも信じられない気持ちです」

――こうした記者会見に臨む気持ちは?

「今までこうしたことがなかったので、本当にオリンピックはすごいイベントなんだと感じています」

――「初代チャンピオン」という称号について。

「今までずっとスケートボードをしてきて、スケートボードが5年前に新競技に選ばれ、当時自分が出られるイメージはしていませんでした。そこから積み重ねていくうちにオリンピックがどんどん見えてきて、新競技で優勝できて嬉しく思っています」

――競技を始めるキッカケを与えてくれた父とはどのような話をされたのでしょうか。

「家族とはまだ話せていませんが、お父さんから『おめでとう』とメッセージがあり、『ありがとう』と、インスタグラムのDMで返しました」

――着用されていたTシャツが話題だが?

「オリンピックを通じて、スケートボードの楽しさ、格好良さを昨日皆さんに伝えられたのではないかと思います。着用していたナイキのウェアは自分のお気に入り。1年前からデザインを見ていて、あのTシャツで出ようと思っていました。決め手は富士山など日本的なデザインになっていて、地元の東京、日本でのオリンピックに出るということからです。スケボーにも富士山のグラフィックがあり、それとも合わせたいと思っていました」

――地元・江東区の開催だったことについて。

「東京オリンピックに挑む前は、すごくプレッシャーを感じていました。友達から応援してくれて、嬉しかった半面、絶対にミスできない、変な滑りはできないと思っていました」

――スケートボードはどのような存在?

「自分の人生を変えるキッカケを作ってくれました」

――日本ではスケボーが禁止されている公園が多いと言われます。この金メダル獲得をキッカケに、環境も変わっていってほしいと思いますか?

「日本はスケートボードが禁止されている場所がすごく多いので、公園などでもスケボーができるようになっていければいいと思います。スケートパークも、もっといい環境が増えていってくれたら嬉しいです」

――江東区がそのような中心地になっていってほしい?

「地元の小松川公園は思い出のある場所で、僕がスケボーを始めたところです。そこでまたローカルな人たちみんなと一緒にスケボーをしたいです」

――他競技と異なる点は?

「スケートボードは世界選手権などだけでなく、アメリカではビデオパートが重要になってきます。そういったところが他の競技とは少し異なるところだと思います。スケートボードはオリンピックへの2年前にチャンスを感じ、そこから準備を整えてきました。一方、大会前にビデオパートを出すこともできました」

――他競技で憧れる方は?
「憧れていたのはイチロー選手。すごくよく見ていました。記録をどんどん塗りかえていくところがすごいと思いました」

――2024年のパリ五輪に向けて。

「アメリカではスケボーの映像を作り、自分のやりたいことをやって、2024年も自分のいい状態で挑めたらと思います」

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