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高橋義希が引退会見で語った“『サガン鳥栖らしさ』とは”「だから最後まで助け合える」

引退記者会見を行った鳥栖の高橋義希。協力:サガン鳥栖

最後まで鳥栖の象徴として、心に響く言葉を紡ぐ。

 今シーズン限りでの引退を決断したJ1リーグ サガン鳥栖のMF高橋義希が12月4日、リーグ最終のヴィッセル神戸戦(●0-2)のあと記者会見を行った。鳥栖といえばハードワーク。そのハードワークの象徴だったのが高橋だった。日本代表のキャリアはないがJリーグ屈指のハードワーカーとして、「鳥栖の象徴」として、一時はべガルタ仙台への移籍を挟み、トータル18年間、鳥栖で16シーズン戦ってきたプロ生活にピリオドを打った。

 高橋の言葉の一つひとつから鳥栖への強い思いが溢れていた。その言葉は、鳥栖のバイブルになると言っても過言ではない。それほど「魂」が伝わってきた。

「小さい頃から負けず嫌いで、どんな勝負でも勝ちたかった。小学生のマラソン大会でも、体力測定でも常に1位を目指していました。練習でも、誰よりも走れるところに自信だけは持ってやってきました。その積み重ねで、体力がついていったのかなと思います」

 そんなサッカー少年だった高橋を長野県で見出した松本育夫氏、彼を鍛え上げていった岸野靖之氏、この二人との「出会いは大きかったです」と感謝を口にして、サガン鳥栖のカラーに染まっていった当時を振り返る。

「当たり前のことですが、走る練習ではコーンの内側を走らない。マーカーまで全力で走り切る。それがサガン鳥栖では、当たり前にできます。そういうチームでした」

『なぜ、そんなに走れるのか』よく受けてきた質問に対し高橋は「気持ちです」と答えてきたそうだ。

「チームのため、サポーターのために闘うのだったら、それを自然とどんな状況でも当たり前にできなければいけない。走り切る、闘い切る。それは普通のこととなっていきました。だから、そこは『気持ち』だと思います」

 その点について、高橋はもう少し具体的に語る。サガン鳥栖がサガン鳥栖であるために――鳥栖で戦うための「必須条件」と言える。

「よく『闘うところ』『ハードワーク』が、サガン鳥栖らしさだと言われます。もちろん、そこでもあるのですが、もしもサガン鳥栖らしさを言語化するのであれば『クラブのため、仲間のため、サポーターのためにプレーできて行動できること』。だから走れる、だから闘える。だから、最後まで助け合える、そこにつながっていくと思います。

 そこを大切にやっていくこと。それがチームとしてまとまっていくのには必要なことでした。

 そこでチームとしてまとまれれば、少し技術がなくても、技術のあるチームより強くなれる。そう信じています。

 決して今それがないと言っているわけではありません。最低限のところをこれからもサガン鳥栖は大切にしていったほしい。そうすれば、より上位に行けると信じています」

 データ上でも高橋の走行距離は突出していた。しかしそれも、勝利のため、仲間を助けるため、自分に何ができるかを考え、1試合の中で力を出し切ったうえでの「結果」だったと言う。

 コーンやマーカーを用いたダッシュ。走りの練習なのだから、手前で力を抜いてもいいだろう、細かいことを気にする必要はないだろう、と考える選手も中にはいる。それで成功している選手もいるかもしれない。しかしサガン鳥栖では、その最後の一歩にこだわる。最後まで全力で駆け抜ける。

 高橋は18年間そのスタイルを貫き、勝利と、鳥栖と、仲間のため、誰よりもたくさん走ってきた。その姿に共感する観客からは、惜しみない多くの拍手が送られてきた。

 そんなハードワーカーは「勝利したあと、駅前不動産(鳥栖)スタジアムのピッチを一周しながらスタンドを見上げて、サポーターの皆さんの笑顔を見る時が一番の幸せでした」と、嬉しそうに語った。

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[文:塚越始]

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