中村俊輔が語った現役26年で忘れられない1試合「全くボールも地にも足がつかなかった」。横浜F・マリノス時代の…
記者会見にて、これまで在籍したチームのユニフォームとともに記念撮影する中村俊輔。写真:上岸卓史/(C)Takashi UEGISHI
あんなに悲しい試合はしたくない…「僕を変えようとしてくれた人でした」。
横浜FCの元日本代表MF中村俊輔が11月10日、神奈川県内で引退記者会見を行った。日本の「10番」の象徴であるレフティは、プロキャリア26年間での様々な出来事を振り返るととともにチームメイトや指導者たちに感謝の気持ちを伝え、今後目指していく指導者像などにも触れた。
そのなかで「最も“印象に残っている”試合はありますか?」という問いに、44歳のレフティはしばらく時間をかけて考えて、次のように答えた。
「印象……。マツ……、松田(直樹)選手が亡くなられた直後、次の試合がアウェーの柏レイソル戦でした(2011年8月6日/横浜F・マリノスは0-2で敗れる)。
全くボールも、地にも足がついていない感じでやっていて、それはもう過去に1試合しかなかったです。あのような悲しい試合はしたくない。そういう試合として、心に残っています」
横浜F・マリノス、レッジーナ、セルティックFC、エスパニョールジュビロ磐田、横浜FC、年代別そして日本代表……。まさに世界で戦い、数多くの人を魅了してきた中村が選んだのが、そのマリノスでの1試合だった。
それからも故・松田さんの存在は、中村の心のなかで、一つの“指針”であり続けたという。
「マツさんだったら、今何を考えているのかなとか、こういう状況ならばどうしているかなとは考えるようになりました。僕を変えようとしてくれた人でした。残念でしたし、ただ次に進まなければいけない。そういう思いでやってきました」
良い時だけではなく、上手くいかない時もある、そんな時の拠りどころになっていた。中村は一つ年上で、ともに日本代表と横浜F・マリノスで戦ってきた松田直樹という特別なチームメイトにも言及していた。指導者の道を歩んでからも、その“拠りどころ”はきっと変わらないのだろう。
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