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内田篤人、常本佳吾ではなく…ルーキー濃野公人が憧れる鹿島の歴代右サイドバックは!?

関西学院大から鹿島に加入した濃野公人。写真:竹田桃子/(C)Momoko TAKEDA

「すぐ僕のことは追い越すと思います。頑張ってくださいね」

 J1リーグ鹿島アントラーズの新体制発表会が1月21日に行われ、新加入とレンタルバックされた選手、さらにランコ・ポポヴィッチ監督や新コーチ陣が決意を示した。関西学院大学から加入した濃野公人(Kimito NONO)は、鹿島から数多くの日本代表選手を輩出している右サイドバックを主戦場にするタレントだ。

 サポーターの前で「32番」のユニフォーム姿を披露した21歳は、「攻撃参加を特長としています。ゴールに関わるプレー、アシストやゴールを見てほしいです」とアピールした。

 さっそくチームには溶け込めてきていると言い、「先輩も後輩も同期も、みんなが声をかけてくれます。(藤井)智也くんと(松村)優太くんはご飯に連れていってくれました。お世話になっています」と感謝していた。

 大津高校時代はフォワードとしてプレーしていた。そして大学3年時、「チームのサイドバックの人数が足りなくなり、監督からやってみろと言われたのがキッカケでした」と右SBへコンバート。そのタフさやダイナミックさ、縦への推進力がより生かされるようになり、ついに鹿島入りを果たした。

 この発表会で「歴代の右サイドバックと言えば、誰を思い出しますか?」と問われると、「名良橋さんです」と即答。ちなみに司会が元鹿島の名良橋晃さんでもあったが、「言わせたわけではないですよ!」と強調していた。

 名良橋さんは内田篤人、常本佳吾らの名前を上げたうえで、鹿島でどのような選手になっていきたいかと質問。濃野は「偉大な先輩がたが活躍してきたポジションなので、早く追いつき、追い越せるような存在になりたいです」と語った。

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 すると1998年フランス・ワールドカップ(W杯)日本代表メンバーであり、鹿島で196試合・16得点(J1通算310試合・23得点)を記録する名良橋さんは、「すぐ僕のことは追い越すと思います。頑張ってくださいね」と、温かくエールを送っていた。

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