”私の街”からJリーグ挑戦、象徴だったザスパクサツ群馬。立役者の植木繁晴氏が逝去
ザスパクサツ群馬のエンブレム。(C)SAKANOWA
「ザスパにとっての『BOSS』でした」
J2リーグのザスパクサツ群馬のクラブ創設者であり、ゼネラルマネージャー(GM)、監督、代表として長きに渡りクラブを支えた植木繁晴(Shigeharu UEKI)氏が4月11日に逝去された。享年69歳。
存続の危機にあった当時のザスパ草津に加わり、Jリーグ入りを目標に掲げて再出発。2022年から総監督、2004年に監督を務めて、悲願のJリーグ昇格を成し遂げた。全国的にも注目され、草津町は「私の街」がJリーグ入りを成し遂げられるというサクセスストーリーのパイオニア的存在となった。
ザスパクサツ群馬は公式サイトで、次のように哀悼の意を表している。
「群馬県リーグという地にザスパを誕生させ、このクラブの黎明期にご尽力されました。時には厳しく、時には優しく、ザスパにとっても『BOSS』でした。監督を退いたあとも選手たちのことを気にかけて叱咤激励の声をかけ、クラブから離れたあともずっとザスパのことを見守ってくださいました。心から哀悼の意を表すとともに謹んでお知らせ申し上げます」
関連記事>>元横綱のドルジ朝青龍が緊急入院「原因は分からない」。モンゴルサッカーも全力応援
群馬の選手は4月14日に開催されるJ2リーグ10節、アウェーでのレノファ山口FC戦、喪章をつけてプレーする。